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義民の史跡

義民宮内之碑(宮内清兵衛の義民伝承)

天保7年(1836)、飢饉の中にあった丹波国桑田郡上久保村(今の京都府南丹市)の宮内清兵衛は、減租を求めて園部陣屋に直訴したものの、簀巻(すまき)にされて川に捨てられ亡くなったといいます。昭和に入ると...
義民の史跡

長松寺(志賀甚兵衛と貞享の越訴)

貞享元年(1684)、旗本・谷家が支配する丹波国十倉領(今の京都府綾部市)の江戸奉公人144人は、重税で困窮しているとして領主に直訴するとともに、その代表が幕府評定所にも越訴しました。頭取は志賀甚兵衛...
義民の史跡

延宝義民顕彰碑(藤田猪兵衛・おこんの義民伝承)

江戸時代前期、園部藩領の丹波国船井郡仏主(ほどす)村では、重税に苦しむ人々のため、藤田猪兵衛・おこん夫妻がそれぞれ直訴に及び、入牢させられたといわれています。この義民伝承をもとに、戦後「和知浄瑠璃」の...
義民の史跡

道雲翁之碑(棚橋道雲の義民伝承)

享保20年(1735)、近江国浅井郡香花寺(こうけいじ)村(今の滋賀県長浜市)では、凶作の中で性急に年貢を課した大和郡山藩に反対した村役人らが重罪に問われようとしたところ、棚橋道雲が責任を一身に負い処...
先賢・循吏の史跡

篠山神社(大坂代官・篠山景義と難波青物市場の成立)

江戸時代の大阪では天満市場が野菜類の取引を独占していましたが、摂津国西成郡難波村(今の大阪府大阪市浪速区)の農民らは直売を認めるよう役所に嘆願を繰り返しました。文化6年(1809)、大坂代官・篠山景義...
先賢・循吏の史跡

三王神社(原喜右衛門と藤森堤)

江戸時代前期、吉野川の洪水による被害を防ぐため、徳島藩の貞光(さだみつ)代官・原喜右衛門は石積みの「藤森堤」を築堤しました。しかしながら、その過程で周辺の村々に夫役を命じたことが藩主への直訴を招き、喜...
先賢・循吏の史跡

堀川改修記念碑(小浜町奉行・武久権十郎と堀川開削)

江戸幕末にしばしば大火に見舞われた若狭国遠敷(おにゅう)郡小浜町(今の福井県小浜市)では、町奉行の武久権十郎(たけひさごんじゅうろう)が町方の助力を得て堀川を開削し、以後大火のおそれはなくなりました。...
先賢・循吏の史跡

鑑雄神社(岡村十兵衛の自刃事件)

貞享元年(1684)、不作・不漁で餓死者も出た土佐国安芸郡(あきぐん)羽根浦(今の高知県室戸市)では、土佐藩分一役(ぶいちやく)として赴任していた岡村十兵衛が、藩の許可なく米蔵を開いて飢えた人々に米を...
先賢・循吏の史跡

西与一左衛門の碑(代官・西与一左衛門と海津浜の石積)

近江国高島郡の海津浜(今の滋賀県高島市)では、高波により宅地や道路が冠水する被害がしばしば生じていたことから、甲府藩領の代官であった西与一左衛門は、元禄16年(1703)におよそ1.2キロメートルにわ...
義民の史跡

義人清介氏之碑(中野村清介と才勝井をめぐる水論)

天正17年(1589)8月、近江国浅井郡(今の滋賀県)では中野村と青名村・八日市村(いずれも今の長浜市)との水論から刃傷事件が発生し、豊臣政権の「喧嘩停止令」に背いたとして、3村から1人ずつ成敗される...
義民の史跡

共有山林顕彰碑(音羽喜助と鉄火裁判)

江戸時代初期の元和5年(1619)、近江国(今の滋賀県)の日野山をめぐる山論を解決するため、馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社の境内で、熱した鉄の斧を手で握って神前に戻すことができた方を勝訴とする「...
先賢・循吏の史跡

一木神社(一木権兵衛と室津港改修)

土佐国土佐郡布師田(ぬのしだ)村(今の高知県高知市)の一木権兵衛は、土佐藩の野中兼山に認められて普請奉行となり、室津港の改修を指揮しました。工事の支障となる港口の岩礁に悩まされた権兵衛は、海神に牲(い...
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