白岩義民(しらいわぎみん)

寛永10年(1633)、出羽国村山郡白岩郷(今の山形県寒河江市)の百姓が旗本・酒井忠重の苛政に耐えかね、非法23か条を「白岩目安」にまとめ幕府に直訴し、忠重は改易された。しかし、代官支配に変わった後も不満が続き、寛永15年(1638)に再び一揆が起きるが、山形藩主・保科正之の計略で百姓36人が騙されて捕らえられ、幕府の裁定を待たず、保科正之の独断で山形城下の広河原において全員が磔刑に処せられた。この一連の白岩一揆で犠牲となった人々を白岩義民と称する。


間沢村三霊供養碑

2023年5月28日義民の史跡

寛永10年(1633)、出羽国村山郡白岩郷(今の山形県寒河江市・西村山郡西川町)の百姓が「 ...