昆野八郎右衛門 昆野八郎右衛門(こんの はちろうえもん) 陸奥国磐井郡釘子村の肝煎。重税で疲弊する農民を救うため仙台藩主に直訴を行うが捕らえられて刑死。その後釘子村では年貢が軽減され穀納から金納に変わったといい、明治時代に義民として顕彰するため昆野八郎右エ門神社が建てられた。
昆野八郎右衛門(こんの はちろうえもん) 陸奥国磐井郡釘子村の肝煎。重税で疲弊する農民を救うため仙台藩主に直訴を行うが捕らえられて刑死。その後釘子村では年貢が軽減され穀納から金納に変わったといい、明治時代に義民として顕彰するため昆野八郎右エ門神社が建てられた。
義民の史跡 昆野八郎右エ門神社(昆野八郎右衛門と釘子村越訴) 天和2年(1682)、陸奥国磐井郡釘子村(今の岩手県一関市)の地肝煎・昆野八郎右衛門は、重税で疲弊する農民を救うため仙台藩主に直訴し、刑死したといわれています。その後、釘子村では年貢が軽減され穀納から... 2023.05.26 義民の史跡