高梨利右衛門

高梨利右衛門たかなし りえもん

江戸前期の出羽国置賜郡屋代郷二井宿村(今の山形県高畠町)の肝煎。末期養子の代償に石高を半減された米沢藩上杉家は、預地の屋代郷から激しく収奪を行ったため、寛文6年(1666)高梨利右衛門が藩政批判と幕府直轄地編入を求める「信夫目安」(寛文目安)を幕府に提出する。ために越訴の罪で磔刑に処せられたが、文政年間に徳を讃える「大酬恩碑」が建てられた。

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