義民の史跡

義民の史跡 義民の史跡
義民松木庄左衛門像

このカテゴリでは公益のために身命を賭して戦った義民の事績、関連する史跡と交通アクセス、参考となる文献などについて紹介しています。

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義民弥治右衛門碑(小泉弥治右衛門と大蔵樋)

低地のため水害が激しかった河内国茨田郡藤田村(今の大阪府守口市)では、慶安2年(1649)、庄屋の小泉弥治右衛門が無断で大蔵樋を設けて一家で磔刑に処せられましたが、後に墓碑や記念碑が建てられました。
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木津勘助之像(中村勘助と中之島の蔵破り)

摂津国西成郡木津村(今の大阪府大阪市)の中村勘助は、「寛永の飢饉」に際して幕府の米蔵を破り、死罪又は流罪になったといわれます。勘助は後に歌舞伎などに登場して人気を博し、銅像や石碑が建てられました。
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重根屋伊七の墓(重根屋伊七と黒江村越訴)

享和3年(1803)の飢饉の際、紀伊国名草郡黒江村(今の和歌山県海南市)の漆器職人・重根屋伊七が藩主に食糧の融通を直訴して牢死したため、後に供養のため「二膳ば」という風習が生まれ、墓も整備されました。
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義民木村勝右衛門顕彰碑(木村勝右衛門と延享一揆)

延享3年(1746)、重税に悩む但馬国朝来郡与布土庄越田村(今の兵庫県朝来市)庄屋の木村勝右衛門は、生野代官の悪政を江戸に出訴して勝利しました。地元には勝右衛門を顕彰する石碑が建てられています。
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義民宮内之碑(宮内清兵衛の義民伝承)

天保7年(1836)、丹波国桑田郡上久保村(今の京都府南丹市)の宮内清兵衛は、飢饉を理由に減租を求めて園部陣屋に直訴し、簀巻にされて亡くなりました。地元の人々は「義民宮内之碑」を建て顕彰しています。
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長松寺(志賀甚兵衛と貞享の越訴)

貞享元年(1684)、旗本・谷家が支配する丹波国十倉領(今の京都府綾部市)の江戸奉公人144人は、重税で困窮しているとして領主に直訴するとともに、その代表が幕府評定所にも越訴しました。頭取は志賀甚兵衛...
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延宝義民顕彰碑(藤田猪兵衛・おこんの義民伝承)

江戸時代前期、園部藩領の丹波国船井郡仏主(ほどす)村では、重税に苦しむ人々のため、藤田猪兵衛・おこん夫妻がそれぞれ直訴に及び、入牢させられたといわれています。この義民伝承をもとに、戦後「和知浄瑠璃」の...
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道雲翁之碑(棚橋道雲の義民伝承)

享保20年(1735)、近江国浅井郡香花寺(こうけいじ)村(今の滋賀県長浜市)では、凶作の中で性急に年貢を課した大和郡山藩に反対した村役人らが重罪に問われようとしたところ、棚橋道雲が責任を一身に負い処...
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義人清介氏之碑(中野村清介と才勝井をめぐる水論)

天正17年(1589)8月、近江国浅井郡(今の滋賀県)では中野村と青名村・八日市村(いずれも今の長浜市)との水論から刃傷事件が発生し、豊臣政権の「喧嘩停止令」に背いたとして、3村から1人ずつ成敗される...
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共有山林顕彰碑(音羽喜助と鉄火裁判)

江戸時代初期の元和5年(1619)、近江国(今の滋賀県)の日野山をめぐる山論を解決するため、馬見岡綿向(うまみおかわたむき)神社の境内で、熱した鉄の斧を手で握って神前に戻すことができた方を勝訴とする「...
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義民宗次郎の碑(畝傍村宗次郎と旗本神保氏領強訴)

明和5年(1768)、大和国(今の奈良県)では凶作をきっかけに旗本・神保氏領内の9か村、千人あまりの百姓が池尻陣屋へ強訴に及び、不納銀の取立て免除などの要求を代官に認めさせました。その後の厳しい吟味に...
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平吉霊神(安住寺村平吉と村方騒動)

江戸時代中期、淡路国三原郡安住寺村(今の兵庫県南あわじ市)の平吉は、年貢米の取立てを巡る庄屋の不正を藩に直訴し、百姓の負担は軽くなったものの、自身は入牢の末に牢死したとも、死罪になったともいわれます。...
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