小池村勇七(こいけむら ゆうしち)

文化元年(1804)に起きた牛久助郷一揆の頭取。水戸街道の牛久宿(現在の茨城県牛久市)のために周辺農村から人馬を徴発する助郷(すけごう)の拡大に反対し、55か村の農民6千人が女化原(おなばけはら)で集会し、牛久宿問屋の屋敷などを打ち壊した。土浦藩などの出兵で鎮圧され、小池村勇七は獄門、同村吉重郎および桂村兵右衛門が遠島と決まるが、既に全員が獄死した後となった。


牛久助郷一揆道標

2023年5月30日義民の史跡

文化元年(1804)、水戸街道での助郷拡大に反対するため、常陸国信太郡小池村(今の茨城県稲 ...