文化大一揆(文化8年(1811年)~9年(1812年))

豊後国(大分県)岡藩で専売制強化や助合(たすけあい)穀徴収などへの不満から大規模な百姓一揆が発生、これに触発された佐伯・中津などの近隣各藩や天領に波及した。佐伯藩では「願望拾ヶ条」を掲げ4千人が蜂起、家老・戸倉織部の説得で鎮圧され、因尾村杢右衛門らが刎首獄門となった。中津藩では城下に押し寄せた百姓らが藩兵と交戦して死傷者を出し、赤尾丹治らが打首獄門となった。


杢右衛門の供養塔

2023年5月17日義民の史跡

文化9年(1812)、重税に苦しむ豊後国海部郡因尾(いんび)村(今の大分県佐伯市)ほかの百 ...

赤尾丹治翁顕徳碑

2023年5月1日義民の史跡

岡藩から起こった「文化大一揆」の影響を受け、文化9年(1812)、豊前国(大分県)でも井堰 ...