百姓一揆事典
『百姓一揆事典』は、1590年から1878年までの、百姓一揆を中心にした民衆運動の内容や関係人物、関係史料などについて、それぞれ項目を立てて編年でまとめた事典です。
『百姓一揆事典』とは
『百姓一揆事典』は、天正18年(1590)から明治11年(1878)までに全国各地で発生した主要な百姓一揆、打ちこわしなどについて、それぞれ項目を立てて年次別に収録した本格的な事典です。狭義の百姓一揆だけではなく、村方騒動や山論・水論、大塩平八郎の乱やシャクシャインの乱のような幕藩権力への武装蜂起、明治初期の新政反対一揆なども採り上げています。また、義民や代官・奉行などの関連人物、関連史料についても、重要なものは項目を立てて解説しています。巻末には一揆用語解説や幕府が出した一揆禁令の年表、参考文献目録などもあり、本文とあわせて活用できるようになっているのが特色です。
初版は平成16年(2004)、『百姓一揆の歴史的構造』を始めとして、幕藩制国家や百姓一揆関連の業績で知られる早稲田大学教授(当時)の深谷克己氏監修のもと、民衆社から出版されました。
『百姓一揆事典』の内容
『百姓一揆事典』は、一揆発生の時期と名称をタイトルに掲げ、その内容を記すとともに、重要人物や史料についても解説を加えています。
たとえば、天保5年(1834)に発生した「志戸崎騒動」については、次のように記載されています。
常陸国新治郡土浦藩領坂村強訴(志戸崎騒動、坂村大騒動)
土浦藩(土屋氏、九万五〇〇〇石)出役・高野喜蔵(喜兵衛)と坂村名主長左衛門による年貢不正取り立て・横領をめぐって発生した一揆。天保五年脇坪・志戸崎の百姓らが慈眼寺や歩崎観音に寄合い、恒助(貝塚姓)らを頭取として東郷名主惣代細野冉兵衛へ嘆願、さらに藩役人へ直訴を企てたが失敗、……
【人物】細野冉兵衛 ほそのぜんべえ
明和三年(一七六四)~天保六年。新治郡土浦藩領東郷名主惣代で天保五年志戸崎騒動(坂村大騒動)の指導者。……
〔参〕『出島村史』、同続、『茨城県史』市町村Ⅲ
* 上記は『百姓一揆事典』(深谷克己監修 民衆社、2004年)374ページからその一部を引用したものである。
当サイトと『百姓一揆事典』の対照表
このウェブサイト(及び拙著『義民のあしあと』)は、百姓一揆などの記載に当たり、教科書や市町村史で用いられるごく一般的な呼称を採用しているほか、義民の供養碑や顕彰碑などの「場所」を基準としています。したがって、同じ出来事を採り上げてはいても、『百姓一揆事典』のタイトルとの関連性が想起しにくい場合があります。
以下、このサイト(及び書籍)内のページと『百姓一揆事典』に記載のある項目の対照表を参考までに記載します。
なお、『百姓一揆事典』本文は縦書きのため、日付部分は実際には漢数字で表記されています。