義民の史跡

赤萩村一揆頭取供養碑(橋本弥太夫と今泉打ちこわし)

明和5年(1768)、越前国(今の福井県)で米価高騰の折に米を移出しようとした船主の館が打ちこわされる「今泉打ちこわし」が発生しました。頭取として南条郡赤萩村(今の南条郡南越前町)の橋本弥太夫ら4人が...
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中川覚右衛門墓碑(中川覚右衛門の切腹伝承)

安永8年(1779)、三河国碧海郡安城村(今の愛知県安城市)では日照りや洪水のために不作となり、庄屋の中川覚右衛門は領主である久永内記に年貢減免を嘆願するものの認められませんでした。そこで覚右衛門は郷...
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萩原神社(野木久右衛門と御厨一揆)

天明3年(1783)、天候不順による大飢饉に見舞われた駿河国駿東郡萩原村(今の静岡県御殿場市)をはじめとする一帯の村々では、年貢減免を求めて小田原藩への強訴を企て、城下に赴く途中で役人の説得に応じて帰...
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義民の史跡

崖山地蔵(原嶋源右衛門と成瀬・長津田村境界相論)

享保元年(1716)、武蔵国多摩郡成瀬村(今の東京都町田市)名主・原嶋源右衛門は、都筑郡長津田村(今の神奈川県横浜市)との間の境界争いに勝訴しますが、後に不正を問われて一家全員処刑されたといわれます。...
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六之神社(浦庄屋佐兵衛と津屋崎・勝浦漁場相論)

隣浦との漁場争いが絶えなかった筑前国宗像郡津屋崎村(いまの福岡県福津市)では、浦庄屋・佐兵衛(左兵衛)ら6人が福岡藩に直訴し、6人が重さ300貫の大石を担いで海岸を移動し、力尽きた場所をもって境界とす...
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義民助兵衛の碑(中島助兵衛と桐洞村越訴)

万治3年(1660)、美濃国武儀郡桐洞村(今の岐阜県下呂市)で尾張藩の重税に反対する農民が神社に屯集し、一揆寸前の状況となりました。同村の中島助兵衛はこれを宥めて単身で江戸に上り、藩主に直訴したところ...
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折立長老碑(折立長老と遠山騒動)

江戸時代初期、旗本・遠山景直の悪政に苦しむ信濃国伊那郡遠山郷(今の長野県下伊那郡・飯田市一帯)の百姓らは、幕府に直訴するための訴状の作成を浄林寺住職の「折立長老」に依頼します。ところが、密告により捕わ...
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島田紋次郎の墓(島田紋次郎と武州世直し一揆)

慶応2年(1866)、横浜開港後のインフレによる米価高騰を契機として、上武一帯の200か村10万人が参加する「武州世直し一揆」が起こり、各地の名主・豪商宅が打ちこわされたり、岩鼻陣屋が襲撃されたりしま...
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関兵霊神社(遠藤兵内と伝馬騒動)

幕府が中山道沿いの村々に増助郷を課したことを端緒として、明和元年(1764)から翌年にかけて、武蔵・上野・信濃・下野4か国20万人が参加する大一揆「伝馬騒動」が勃発しました。幕府は百姓側の要求を全面的...
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義人庄屋源吉頌徳碑(高足村源吉の義民伝承)

三河国渥美郡高足村(今の愛知県豊橋市)庄屋・源吉は吉田藩に年貢減免をたびたび嘆願し、安永3年(1774)に要求は認められるものの、若くして病死したといいます。現地には源吉の墓のほか、頌徳碑が建てられて...
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青嶋八幡宮神社(川口市郎兵衛と磔八幡の伝承)

天和元年(1681)、駿河国富士郡青島村(今の静岡県富士市)名主・川口市郎兵衛は、検地に反対して役人を立ち入らせず、鈴ヶ森で磔刑に処せられたと伝承されています。村では密かに八幡神社に市郎兵衛を合祀した...
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天明山中騒動記念碑(北沢清兵衛と天明山中騒動)

浅間山大噴火の影響が残る天明4年(1784)、信濃国松代藩領の山中地方(今の長野県)の百姓たちが「天明山中騒動」を起こし、大挙して酒屋に押借しつつ松代城下に迫りますが、藩役人と交渉の末に解散を決めまし...
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