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伊予西条藩の郡奉行・竹内立左衛門(たけのうちりゅうざえもん)は、天明2年(1782)、藩命による干拓工事を通じて「禎瑞(ていずい)新田」を完成させ、同年「嘉母神社」が創建されました。立左衛門が寛政3年(1791)に病没す […]
天保7年(1836)、飢饉の中にあった丹波国桑田郡上久保村(今の京都府南丹市)の宮内清兵衛は、減租を求めて園部陣屋に直訴したものの、簀巻(すまき)にされて川に捨てられ亡くなったといいます。昭和に入ると、地元の人々は「義民 […]
貞享元年(1684)、旗本・谷家が支配する丹波国十倉領(今の京都府綾部市)の江戸奉公人144人は、重税で困窮しているとして領主に直訴するとともに、その代表が幕府評定所にも越訴しました。頭取は志賀甚兵衛と伝えられ、7人が死 […]
江戸時代前期、園部藩領の丹波国船井郡仏主(ほどす)村では、重税に苦しむ人々のため、藤田猪兵衛・おこん夫妻がそれぞれ直訴に及び、入牢させられたといわれています。この義民伝承をもとに、戦後「和知浄瑠璃」の演目のひとつが創作さ […]
享保20年(1735)、近江国浅井郡香花寺(こうけいじ)村(今の滋賀県長浜市)では、凶作の中で性急に年貢を課した大和郡山藩に反対した村役人らが重罪に問われようとしたところ、棚橋道雲が責任を一身に負い処刑されたと伝わってい […]
江戸時代の大阪では天満市場が野菜類の取引を独占していましたが、摂津国西成郡難波村(今の大阪府大阪市浪速区)の農民らは直売を認めるよう役所に嘆願を繰り返しました。文化6年(1809)、大坂代官・篠山景義のあっせんにより両者 […]
江戸時代前期、吉野川の洪水による被害を防ぐため、徳島藩の貞光(さだみつ)代官・原喜右衛門は石積みの「藤森堤」を築堤しました。しかしながら、その過程で周辺の村々に夫役を命じたことが藩主への直訴を招き、喜右衛門は責を負って切 […]
江戸幕末にしばしば大火に見舞われた若狭国遠敷(おにゅう)郡小浜町(今の福井県小浜市)では、町奉行の武久権十郎(たけひさごんじゅうろう)が町方の助力を得て堀川を開削し、以後大火のおそれはなくなりました。堀川はその後改修され […]
貞享元年(1684)、不作・不漁で餓死者も出た土佐国安芸郡(あきぐん)羽根浦(今の高知県室戸市)では、土佐藩分一役(ぶいちやく)として赴任していた岡村十兵衛が、藩の許可なく米蔵を開いて飢えた人々に米を分け与え、すべての責 […]
近江国高島郡の海津浜(今の滋賀県高島市)では、高波により宅地や道路が冠水する被害がしばしば生じていたことから、甲府藩領の代官であった西与一左衛門は、元禄16年(1703)におよそ1.2キロメートルにわたる波除けの石積を築 […]