義民の史跡

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義民の史跡

与七の墓(鳥取藩元文一揆と木料村与七)

江戸時代中期の元文4年(1739)、鳥取藩領の因幡・伯耆両国(今の鳥取県)で大規模な全藩一揆「元文一揆」が勃発しました。伯耆国汗入郡木料村(今の西伯郡名和町)の与七は、富農を襲い借銀を10年賦にするよ...
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貝吹山(土井忠兵衛と千原騒動)

天明2年(1782)、木綿の不作で困窮する和泉国(今の大阪府)一橋領54か村では、年貢の減免や延納を求めて多くの百姓が集会を催し、年貢銀の徴収に当たる下掛屋が打ちこわされました。この「千原騒動」で合図...
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義民小平次之碑(森田小平次と馬場村一揆)

江戸時代、折からの旱害と蝗害により飢饉に陥った和泉国日根郡馬場村(今の大阪府泉南市)では、森田小平次が他の17人とともに郷蔵を破り、村人に米を分け与えたと伝えられます。17人の身代わりとしてひとり処刑...
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北山善次郎夫婦の墓(滝村庄屋・善次郎の越訴)

豊岡藩の減封に伴い幕府直轄領となり、年貢負担が増大した但馬国城崎郡(今の兵庫県豊岡市)50か村では、滝村庄屋・善次郎を惣代として、江戸で負担軽減を求める越訴に及びました。善次郎は足かけ4年にわたる入牢...
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伊曽島神社(福豊十六人衆と豊松新田・福井新田越訴)

木曽三川の河口に当たる豊松新田・福井新田(今の三重県桑名市)はたびたび洪水の被害に悩まされており、享保10年(1725)に儀左衛門らあわせて16人の「福豊十六人衆」が幕府老中に直訴した結果、享保13年...
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栗村吉次郎の墓(綾部藩領栗村吉次郎の強訴)

元文元年(1736)、前年に大規模な百姓一揆が起きていた綾部藩領では、丹波国何鹿郡栗村(今の京都府綾部市)の高橋吉次郎が強訴の罪をもって打首となりました。吉次郎が葬られた本福寺では、供養のために吉次郎...
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殉義蘇民の碑(広瀬屋清七郎と天明大原騒動)

飛騨郡代・大原亀五郎は、「一条金」6千両余りを村々から借り入れたり、年貢の過納金を返還せず献納を強制したりしたため、飛騨国益田郡跡津村(今の岐阜県下呂市)出身で高山陣屋の取次役だった広瀬屋清七郎らは、...
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若宮神社(和泉新三郎と有馬検地)

慶長6年(1601)、福知山城主・有馬豊氏が領内で過酷な検地を実施したため、丹波国天田郡厚村(今の京都府福知山市)では、未進年貢を厳しく取り立てた役人を和泉新三郎が殺害する事件が起きたと伝わっています...
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義民田坂市良右衛門碑(田坂市良右衛門の義民伝承)

江戸時代末期の安政年間、岩国藩領の周防国(今の山口県)玖珂郡では、代官が会所に客人を集め贅沢にふけっていました。代官を諌めた田坂市良右衛門は流罪となりますが、村民が家老に訴え出たため釈放されました。後...
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義民清兵衛之碑(市原清兵衛の直訴事件)

寛政12年(1800)、丹波国多紀郡市原村(今の兵庫県丹波篠山市)の清兵衛は、篠山藩の出稼ぎ禁止令で杜氏らが困窮していると藩主・青山忠裕に直訴し入牢するものの、禁令は享和2年(1802)年に緩和されま...
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白井半左衛門供養塔(白井半左衛門の義民伝承)

享保16年(1731)、丹波国多紀郡福住村(今の兵庫県丹波篠山市)庄屋の白井半左衛門は、私費をもって福住の集落に灌漑・防災用水を開削しましたが、藩に無断の工事であるとして大庄屋に訴えられ、篠山藩により...
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平井庄屋太兵衛碑(平井村太兵衛と松山藩越訴)

寛文8年(1668)、宇陀松山藩では用人頭による政策のために百姓が難渋し、大和国宇陀郡平井村(今の奈良県宇陀市)庄屋・太兵衛らが江戸に出向いて藩主・織田長頼に直訴に及びました。しかし、藩主は殿中で恥辱...
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