南山義民(みなみやまぎみん)

享保5年(1720)以降の南山一揆の犠牲者をいう。南山御蔵入領と呼ばれた幕府直轄の南会津地方は、生産性の低い山がちの地形のため、年貢やその輸送の負担が大きかった。このため年貢減免や石代納を求めて百姓が田島代官所に強訴したが、権限がないと取り合わなかったので代表が江戸に上り直訴した。南会津一帯は会津藩の預地となり実質的に要求は実ったが、小栗山村喜四郎らが晒首となり、のち南山義民として顕彰された。


南山義民之碑

2023年5月28日義民の史跡

享保5年(1720)、生産性が低く年貢やその輸送の負担が大きかった会津御蔵入領の百姓らが江 ...