重根屋伊七 重根屋伊七(しこねや いしち) 江戸時代後期の紀伊国名草郡黒江村(今の和歌山県海南市)の漆器職人。享和3年(1803)の飢饉に際し、椀づくりの糊の原料になる続飯米(そくいまい)の名目で食糧の融通を受けようと藩主に直訴して牢死し、後に供養のため「二膳ば」という風習が生まれたという。
重根屋伊七(しこねや いしち) 江戸時代後期の紀伊国名草郡黒江村(今の和歌山県海南市)の漆器職人。享和3年(1803)の飢饉に際し、椀づくりの糊の原料になる続飯米(そくいまい)の名目で食糧の融通を受けようと藩主に直訴して牢死し、後に供養のため「二膳ば」という風習が生まれたという。
義民の史跡 重根屋伊七の墓(重根屋伊七と黒江村越訴) 享和3年(1803)の飢饉の際、紀伊国名草郡黒江村(今の和歌山県海南市)の漆器職人・重根屋伊七が藩主に食糧の融通を直訴して牢死したため、後に供養のため「二膳ば」という風習が生まれ、墓も整備されました。 2026.05.13 義民の史跡