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義民の史跡

板屋原神社(佐土原基右衛門の切腹死事件)

江戸時代の天保年間、豊後国(今の大分県)黍野組の大庄屋・佐土原基右衛門は、飢饉を理由に臼杵藩の代官に年貢減免を訴願するものの認められませんでした。さらに藩では黍野組の組替えも強行しようとしたことから、無念に思った佐土原基右衛門は、天保11年...
書誌

参考文献が見つからないときには

百姓一揆や義民について理解を深めるための資料を探す方法にはさまざまなものがあります。手頃な参考文献が見つからない場合には、次のような方法をご検討ください。 最初から資料を探す場合 このウェブサイト内から探す このウェブサイトでは、各ページの...
書誌

義民のあしあと東日本編

このウェブサイトの内容の一部を書籍(紙媒体・電子媒体)としてまとめました。内容は次のとおりです。 義民のあしあと東日本編: 百姓一揆の遺跡を訪ねて村松 風洽 (著)ISBN:978-4815030537124ページ デザインエッグ社、202...
書誌

義民のあしあと中日本編

このウェブサイトの内容の一部を書籍(紙媒体・電子媒体)としてまとめました。内容は次のとおりです。 義民のあしあと中日本編: 百姓一揆の遺跡を訪ねて村松 風洽 (著)ISBN:978-4815034092160ページ デザインエッグ社、202...
書誌

義民のあしあと西日本編

このウェブサイトの内容の一部を書籍(紙媒体・電子媒体)としてまとめました。内容は次のとおりです。 書誌情報 義民のあしあと西日本編 村松 風洽(著) ISBN:978-4815038014 198ページ デザインエッグ社、2023年5月発行...
義民の史跡

間沢村三霊供養碑(白岩義民と白岩一揆)

寛永10年(1633)、出羽国村山郡白岩郷(今の山形県寒河江市・西村山郡西川町)の百姓が「白岩目安」をもって旗本・酒井忠重の苛政を幕府に直訴し、後に忠重は改易されて代官支配となりました。寛永15年(1638)、再び一揆が起きるものの、山形藩...
義民の史跡

大神宮義民七人様の供養碑(大神宮義民七人様と大神宮村越訴)

天和2年(1682)、安房国安房郡大神宮村(今の千葉県館山市)川坂の名主・小柴三郎左衛門らが旗本・河野三左衛門の苛政を幕府老中に越訴するものの、敗訴して身柄を河野家に引き渡され、あわせて7人が処刑されました。文化11年(1814)、百三十三...