義民の史跡 義人の碑(蔵川村吉右衛門と蔵川騒動) 明和7年(1770)、凶作が続く大洲藩領の伊予国喜多郡蔵川村(今の愛媛県大洲市)では、多数の百姓が宇和島藩領に逃散する「蔵川騒動」が起こります。大洲藩は首謀者を突き止めようとして庄屋や組頭らを入牢させたため、見かねた平百姓の吉右衛門・新之丞... 2023.05.26 義民の史跡
義民の史跡 和田の佐助顕彰碑(和田佐助の義民伝承) 万治3年(1660)、越中国砺波郡佐野村(今の富山県高岡市)で和田野の町建てを行い、その肝煎となっていた佐助は、困窮農民を救うために隠田開発をし、露見して磔刑に処せられたと伝えられています。後に和田村の地子が免除されたことから「佐助大明神」... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 義人平野源蔵・竹本庄右衛門顕彰碑(平野源蔵と11か村入会山論) 江戸時代の寛文年間、三河国(今の愛知県)宝飯郡で入会山論が起き、広石村庄屋・平野源蔵と組頭・竹本庄右衛門が地元9か村を代表して幕府の牛久保代官所に直訴しました。罪に問われた平野源蔵と竹本庄右衛門は寛文9年(1669)に打首となりますが、結果... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 芦ノ湖水神社(友野与右衛門の義民伝承) 駿河国駿東郡深良村(今の静岡県裾野市)周辺の村々では水不足が続いていたため、元締・友野与右衛門らの指導のもと、芦ノ湖を水源とした箱根用水開削の大工事が行われ、現在もその水は大地を潤しています。しかし、友野与右衛門らはその後幕府と対立して打首... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 義民供養の石地蔵(伊深義民事件) 天和2年(1682)、旗本・佐藤継成の知行所だった美濃国加茂郡伊深村(今の岐阜県美濃加茂市)では、不作で困窮した百姓らの代表が江戸に上りに年貢減免を幕府目付に越訴し、うち多数が牢死又は死罪となりました。現地には「伊深義民の碑」と称する供養碑... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 庄右衛門堂(田頭庄右衛門と土生騒動) 江戸時代、伊予国越智郡の弓削島(今の愛媛県越智郡上島町)は今治藩が支配していましたが、宝永5年(1708)以降、災害を理由に組頭の田頭庄右衛門らが庄屋宅に押し掛け年貢減免をたびたび要求し、3人が斬首獄門となりました。この「土生騒動」の後、よ... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 長恩院石塔(田辺小兵衛の義民伝承) 正保2年(1645)、越後国蒲原郡馬堀村(今の新潟県新潟市)庄屋・田辺小兵衛は、干魃に悩む村人のために「馬堀用水路」を開削したものの、幕府役人から独断で工事を行った責任を問われ自殺したといいます。宝暦2年(1752)、村では小兵衛の遺徳を偲... 2023.05.24 義民の史跡
義民の史跡 栂野彦八顕彰碑(栂野彦八の義民伝承) 文化3年(1806)、越中国婦負郡四方町(今の富山県富山市)の町年寄・栂野彦八は、漁民による行商を禁じた郡奉行を諫めるために切腹し、奉行は罷免されたといいます。彦八の没後、その石像が造られましたが、明治時代に石像を移して「都賀比古神社」が創... 2023.05.24 義民の史跡
義民の史跡 生田万の墓碑(生田万の乱) 天保8年(1837)、大坂で起こった「大塩平八郎の乱」に触発され、天保の飢饉による惨状を憂いた国学者・生田万が同志を募り、越後国柏崎町(今の新潟県柏崎市)にあった桑名藩の柏崎陣屋を襲撃しました。この「生田万の乱」は長岡藩の加勢により鎮圧され... 2023.05.24 義民の史跡
義民の史跡 武左衛門大いちょう(上大野村武左衛門と吉田騒動) 寛政5年(1793)、伊予国(愛媛県)吉田藩の紙専売制に反対し、宇和郡上大野村(今の愛媛県北宇和郡鬼北町)百姓・武左衛門らを頭取とする大一揆が起こり、約1万人が宇和島城下に迫りました。吉田藩家老・安藤儀太夫は百姓の面前で失政の責を負い切腹し... 2023.05.24 義民の史跡
義民の史跡 永安寺(柴田助太夫と大浜茶屋村の愁訴) 延宝5年(1677)、三河国碧海郡大浜茶屋村(今の愛知県安城市)庄屋・柴田助太夫は、助郷役免除の訴願を繰り返し、この年死罪になったと伝えられます。しかし、この助太夫の訴願により、大浜茶屋村では以後幕末に至るまで助郷役が免除されることとました... 2023.05.23 義民の史跡
義民の史跡 伝蔵地蔵(眼目屋与左衛門の義民伝承) 江戸時代、越中国新川郡東水橋村(今の富山県富山市)の米商人・眼目屋与左衛門が飢饉の際に給人蔵を勝手に開放して米を分け与え、生埋めの刑に処せられたと伝わっています。後に人々は供養のために「伝蔵地蔵」を祀りました。 2023.05.23 義民の史跡