広告
義民の史跡

生田万の墓碑(生田万の乱)

天保8年(1837)、大坂で起こった「大塩平八郎の乱」に触発され、天保の飢饉による惨状を憂いた国学者・生田万が同志を募り、越後国柏崎町(今の新潟県柏崎市)にあった桑名藩の柏崎陣屋を襲撃しました。この「...
義民の史跡

武左衛門大いちょう(上大野村武左衛門と吉田騒動)

寛政5年(1793)、伊予国(愛媛県)吉田藩の紙専売制に反対し、宇和郡上大野村(今の愛媛県北宇和郡鬼北町)百姓・武左衛門らを頭取とする大一揆が起こり、約1万人が宇和島城下に迫りました。吉田藩家老・安藤...
義民の史跡

永安寺(柴田助太夫と大浜茶屋村の愁訴)

延宝5年(1677)、三河国碧海郡大浜茶屋村(今の愛知県安城市)庄屋・柴田助太夫は、助郷役免除の訴願を繰り返し、この年死罪になったと伝えられます。しかし、この助太夫の訴願により、大浜茶屋村では以後幕末...
広告
義民の史跡

伝蔵地蔵(眼目屋与左衛門の義民伝承)

江戸時代、越中国新川郡東水橋村(今の富山県富山市)の米商人・眼目屋与左衛門が飢饉の際に給人蔵を勝手に開放して米を分け与え、生埋めの刑に処せられたと伝わっています。後に人々は供養のために「伝蔵地蔵」を祀...
義民の史跡

北市騒動供養塔(北市村源右衛門と北市騒動)

宝暦7年(1757)、凶作による米価高騰を機に越中国城端町(今の富山県南砺市)の米屋が打ちこわされる「北市騒動」が起こり、頭取として北市村(今の南砺市)源右衛門らが処刑されました。宝暦8年(1758)...
義民の史跡

義人を祀る霊地(当代屋与次兵衛と輪島騒動)

安政5年(1858)、米価高騰を受けて能登国輪島町(今の石川県輪島市)の米屋や役人宅が打ちこわされる「輪島騒動」が起こり、米価統制や安値米の販売で沈静化が図られました。この一揆では頭取の当代屋与次兵衛...
義民の史跡

若宮八幡宮(高橋安之丞と安之丞直訴事件)

江戸時代の貞享年間、土佐国吾川郡上八川村(今の高知県吾川郡いの町)で飢饉が起こり、里正(庄屋)の高橋安之丞が土佐藩に年貢減免を嘆願するものの、かえって彼を妬む者によって讒訴され、元禄元年(1688)に...
義民の史跡

道閑公園(園田道閑と浦野事件)

寛文5年(1665)、加賀国(今の石川県)鹿島半郡で給人・浦野孫右衛門が検地に反対し、十村役・園田道閑らもこれに同調したところ、加賀藩主の裁定により孫右衛門は切腹、道閑は磔となりました。現地にはこの「...
義民の史跡

義民藤田民次郎顕彰之碑(藤田民次郎と民次郎一揆)

文化10年(1813)、弘前藩領の百姓2千人が城下に押しかけ、冷害による年貢減免を求め強訴しました。藩主・津軽寧親の英断により年貢の3年減免は認められたものの、首謀者として名乗り出た陸奥国津軽郡鬼沢村...
義民の史跡

天保義民之碑(天保義民と見立て願出事件)

天保9年(1838)、加賀国石川郡(今の石川県)・越中国砺波郡(今の富山県)の肝煎らが凶作を理由に秋縮御請を拒否し、奉行による見立てを願い出たところ、奉行は肝煎ら村役人15人を投獄し拷問を加えた上、獄...
義民の史跡

赤萩村一揆頭取供養碑(橋本弥太夫と今泉打ちこわし)

明和5年(1768)、越前国(今の福井県)で米価高騰の折に米を移出しようとした船主の館が打ちこわされる「今泉打ちこわし」が発生しました。頭取として南条郡赤萩村(今の南条郡南越前町)の橋本弥太夫ら4人が...
義民の史跡

中川覚右衛門墓碑(中川覚右衛門の切腹伝承)

安永8年(1779)、三河国碧海郡安城村(今の愛知県安城市)では日照りや洪水のために不作となり、庄屋の中川覚右衛門は領主である久永内記に年貢減免を嘆願するものの認められませんでした。そこで覚右衛門は郷...
広告
タイトルとURLをコピーしました