江戸時代中期、淡路国三原郡安住寺村(今の兵庫県南あわじ市)の平吉は、年貢米の取立てを巡る庄屋の不正を藩に直訴し、百姓の負担は軽くなったものの、自身は入牢の末に牢死したとも、死罪になったともいわれます。平吉の没後に祟りがあったことから村では霊神として祀ると、かえって村の守護神になったということです。
義民伝承の内容と背景
同村の平吉はこうした不正を見破り、五人組を動かして庄屋に嘆願し、一時は不正をやめさせますが、庄屋はかえって五人組の者を買収し、なお不正を働こうとしました。
そこで平吉は組頭庄屋の加地氏に訴えたものの、証拠を挙げることができなかったことから、藩庁に直訴して捕らえられてしまいました。
この平吉の直訴により百姓の負担は軽くなりましたが、自身は庄屋と争ったことで死罪を仰せ付けられ、長年にわたって牢獄にあった後、実際に死罪に行われたとも、牢死したともいわれます。
寛政5年(1793)7月23日に平吉が亡くなると、五人組の家が断絶したり、村人の多くが病にかかったりしたため、易者や祈祷者に見立ててもらったところ、裏切りに遭った平吉の妄念によるものと判明しました。そこで平吉を「一心密行霊神」とし、村内にある安住寺に宝篋印塔を建てるなどして祀ると祟りはやみ、かえって村の守護神になったということです。
昭和7年(1932)には、組有運動場があった荒神山という場所に、新たに「一心尽身霊神」と刻んだ碑が建てられました。
参考文献
『緑町風土記』(緑町合併20周年記念誌編纂委員会編 緑町教育委員会、1977年)
『三原郡史』(三原郡史編纂委員会編 三原郡町村会事務所、1979年)
平吉霊神の場所(地図)と交通アクセス
名称
平吉霊神
場所
兵庫県南あわじ市倭文安住寺
備考
「平吉霊神」は、安住寺集落内を走る兵庫県道470号倭文五色線沿い、安住寺から直線距離で西に300メートルほどの丘の上にあり、「一心尽身霊神」と草書体で刻まれた石碑が残っています。マイカーの場合、神戸淡路鳴門自動車道「洲本インターチェンジ」から15分、公共交通機関を用いる場合は、「洲本バスセンター」から淡路交通バス(鳥飼線)乗車25分、「供養石」バス停下車、付近の交差点から県道470号線に入って、南西に徒歩10分ほどです。
関連する他の史跡の写真
