義民の史跡 坂東町次郎の墓(坂東町次郎と上郡一揆) 天保13年(1842)、重税や煙草栽培の統制への不満から、阿波国(今の徳島県)では山城谷の百姓逃散や加茂山周辺の打ちこわしが発生し、これが契機となって徳島藩領最大の「上郡一揆」へと発展します。徳島藩は百姓側の要求を認めるものの、一揆の先頭に... 2023.06.01 義民の史跡
義民の史跡 茂左衛門地蔵尊千日堂(杉木茂左衛門と磔茂左衛門一揆) 天和元年(1681)、上野国利根郡月夜野村(今の群馬県利根郡みなかみ町)名主・杉木茂左衛門は沼田藩の悪政を幕府に直訴し、真田家は改易となるものの、茂左衛門も磔刑に処せられました。この「磔茂左衛門一揆」は典型的な「代表越訴型一揆」の一つとされ... 2023.05.31 義民の史跡
義民の史跡 日向義民地蔵(小沼庄左衛門と延宝の直訴) 延宝4年(1676)、上野国山田郡台之郷村(今の群馬県太田市)名主・小沼庄左衛門ら18人は、「目こぼれ」と称して館林藩の役人が年貢を横領したことを幕府に直訴しました。その後、18人の身柄は館林藩に引き渡され、全員が磔刑に処せられたことから、... 2023.05.31 義民の史跡
義民の史跡 六之丞八幡宮(堀江六之丞と板倉村強訴) 寛保元年(1741)、丹南藩領の下野国足利郡板倉村(今の栃木県足利市)の百姓らが年貢減免を求めて代官所への強訴を企て、説得に当たった堀江六之丞がかえって頭取とみなされ処刑される事件が起こりました。さらに、夫の無実を江戸表に訴えた妻・よねも同... 2023.05.31 義民の史跡
義民の史跡 圃租法変更紀念碑(板橋政右衛門と畑方永納一件) 明治2年(1869)、下野国那須郡大沢村(今の栃木県那須烏山市)の板橋政右衛門らは、畑年貢の金納を求めて烏山藩や新政府の弾正台に訴願し、流刑に処せられました。その後の地租改正により結果として目的を果たしたことから、明治35年(1902)に有... 2023.05.31 義民の史跡
義民の史跡 鈴木源之丞供養塔(鈴木源之丞と籾摺騒動) 明和元年(1764)、宇都宮藩の年貢増徴に反対して百姓4万5千人が宇都宮城下で打ちこわしを行う「籾摺騒動」が起こり、頭取として下野国河内郡御田長島村(今の栃木県宇都宮市)庄屋の鈴木源之丞らが打首となりました。その後、源之丞を供養するため鎮守... 2023.05.31 義民の史跡
義民の史跡 大塩平八郎の墓(大塩平八郎の乱) 天保8年(1837)、「天保の飢饉」に対する幕府の無策と私欲に走る豪商らに憤慨し、元大坂町奉行与力で陽明学者の大塩平八郎が門人らとともに大坂市中で反乱を起こしました。この「大塩平八郎の乱」は1日で鎮圧され、大坂市中の5分の1が焼失したほか、... 2023.05.31 義民の史跡
義民の史跡 助六の首塚(福田助六と助六騒動) 安永7年(1778)、過重な年貢や助郷役の負担に耐えかねた常陸国新治郡(今の茨城県)本堂氏領25か村の百姓が江戸屋敷に強訴し、下佐谷村(今のかすみがうら市)名主の福田助六が頭取として獄門に処せられました。現地には助六を供養するための墓碑など... 2023.05.30 義民の史跡
義民の史跡 慈眼寺(細野冉兵衛と志戸崎騒動) 天保5年(1834)、常陸国新治郡坂村(今の茨城県かすみがうら市)において、名主が土浦藩の役人と結託して不正を企てた疑惑を調べていた百姓・貝塚恒助が役人に捕縛されたため、東郷名主惣代・細野冉兵衛ぜんべえが逆に役人を捕縛する騒動が起こりました... 2023.05.30 義民の史跡
義民の史跡 牛久助郷一揆道標(小池村勇七と牛久助郷一揆) 文化元年(1804)、水戸街道での助郷拡大に反対するため、常陸国信太郡小池村(今の茨城県稲敷郡阿見町)百姓・勇七らを筆頭に女化原に6千人が集まる一揆が発生し、牛久宿(今の牛久市)の麻屋治左衛門宅などを打ちこわしました。この「牛久助郷一揆」の... 2023.05.30 義民の史跡
義民の史跡 照山修理の墓(照山修理と検地反対強訴) 寛永18年(1641)、常陸国多賀郡金沢村(今の茨城県日立市)庄屋・照山修理しゅりは、水戸藩の寛永検地に反対して強訴に及んだため磔刑に処せられました。しかし、藩も検地の際に縄延びさせて課税面積が少なくなるよう配慮したことから、後に菩提寺の長... 2023.05.30 義民の史跡
義民の史跡 遺跡義民佐七一族累代之墓(義民腹切り佐七の伝承) 江戸時代の享保年間、常陸国那珂郡三反田村(今の茨城県ひたちなか市)庄屋の平沢佐七は、飢饉に際して水戸藩の郷蔵を無断で開放し、百姓に穀物を分け与えた上で切腹したといいます。佐七の塚には明治時代に霊堂が建てられ、現在は寺院となっています。 2023.05.30 義民の史跡