五味藤九郎碑(京都代官・五味豊旨と上高野用水)

五味藤九郎碑 先賢・循吏の史跡
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江戸時代前期のこと、禁裏御料だった山城国愛宕郡高野村(今の京都府京都市左京区)には高野川が流れていたものの、標高差があるため水不足に苦しんでいました。京都代官・五味藤九郎豊旨は、難工事の末に「上高野用水」を開削し、今日に至るまでこの地域を潤しています。崇道神社の境内には、五味藤九郎の事績を顕彰するため人々が建てた「五味藤九郎碑」があります。

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伝承の内容と背景

江戸時代前期のこと、禁裏御料だった山城国愛宕郡高野村には高野川が流れていたものの、河道よりも標高が高い位置に農地があり、取水は容易ではありませんでした。このため、谷奥から筧を使って水を引いていましたが、風雨があるたびに破損し、村中が水不足に苦しんでいました。

禁裏御料を預かる京都代官・五味藤九郎豊旨は、この窮状を救うため、延宝5年(1677)に「上高野用水」を開削しました。高野川の上流に「李ヶ井堰」を設けて取水し、字岩ヶ鼻地内の崖地にトンネルを掘って通水したものです。

水路の延長は1.4キロメートルほどあり、「口の隧道」とよばれる素掘りのトンネルは35間(およそ64メートル)で、途中に明かり取りの穴が開口しているほか、侵食対策として中央部で120度曲がっているといいます。五味家の先祖が甲斐武田氏の家臣で土木技術に精通していたため、このような難易度の高い工事も実現できたといわれます。

崇道神社の境内には、五味藤九郎の事績を顕彰するため、人々が建てた「五味藤九郎碑」があり、次のように35間を切り通して用水を開削したことが刻まれています。この碑の上部には、昭和5年(1930)に建てられた「五味藤九郎之碑」と刻む新しい碑もあります。

     山城國愛宕郡髙野村用
禁裏御料 水洫五味藤九郎御代官
     之時洞中三十五間切通
      延寶五[丁巳]春二月

「上高野用水」のうち、トンネル部分は今も江戸時代当時のものが使われており、その他も多くがコンクリート造りに置き換えられたものの、灌漑用水として上高野地域の農地を潤しています。昭和30年代(1955~64)ごろまでは水車小屋が水路沿いの各所に設けられ、精米などの作業にも用いられていました。

参考文献

  • 『京都府愛宕郡村志』(京都府愛宕郡役所編 京都府愛宕郡役所、1911年)p.112
  • 『上高野史誌』(十三代佐竹武右ェ門 みどり会、1980年)pp.18-20
  • 『洛北上高野・山端』(中村治 大阪公立大学共同出版会、2018年)pp.2-4

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五味藤九郎碑の場所(地図)と交通アクセス

名称

五味藤九郎碑

場所

京都府京都市左京区上高野西明寺山

 075-241-4312(京都市歴史資料館)

備考

「五味藤九郎碑」は、国道367号沿いに鎮座する崇道神社の境内参道の途中にあり、手前に解説板が置かれています。2つの石碑のうち下が江戸時代に建てられた古いもの、上が新しい戦前のものです。公共交通機関を用いる場合は、叡山電鉄叡山本線「三宅八幡駅」から徒歩10分、マイカーの場合は、名神高速道路「京都東インターチェンジ」から25分となっています。なお、境内には駐車場がありませんが、国道沿いにいくつか有料駐車場があります。

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