和歌山

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義民の史跡

重根屋伊七の墓(重根屋伊七と黒江村越訴)

享和3年(1803)の飢饉の際、紀伊国名草郡黒江村(今の和歌山県海南市)の漆器職人・重根屋伊七が藩主に食糧の融通を直訴して牢死したため、後に供養のため「二膳ば」という風習が生まれ、墓も整備されました。
義民の史跡

戸谷新右衛門の墓地(戸谷新右衛門と高野枡一揆)

享保5年(1720)、紀伊国伊都郡(今の和歌山県)高野山領の年貢の不正徴収に関連して、島野村庄屋・戸谷新右衛門が幕府に越訴し是正されたものの、帰郷後に石子詰で処刑されたという伝説があります。現地には新...
義民の史跡

朝来村三兵衛墓(三兵衛の義民伝承)

江戸時代、紀州藩田辺領内では郡奉行と代官による毛見が重複して行われており、接待に当たる百姓の煩いの種となっていました。紀伊国朝来村(今の和歌山県上富田町)の三兵衛は、郡奉行の毛見は無益と主張し、簀巻き...
義民の史跡

恩徳碑(内田馬之丞と打田村越訴)

江戸時代前期、紀伊国打田村(今の和歌山県紀の川市)では検地役人の怨恨から重税が課せられるようになったため、慶安2年(1649)、神官・内田馬之丞が和歌山藩主・徳川頼宣に直訴し、年貢は元に戻されました。...
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