義民の史跡 和田の佐助顕彰碑(和田佐助の義民伝承) 万治3年(1660)、越中国砺波郡佐野村(今の富山県高岡市)で和田野の町建てを行い、その肝煎となっていた佐助は、困窮農民を救うために隠田開発をし、露見して磔刑に処せられたと伝えられています。後に和田村の地子が免除されたことから「佐助大明神」... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 栂野彦八顕彰碑(栂野彦八の義民伝承) 文化3年(1806)、越中国婦負郡四方町(今の富山県富山市)の町年寄・栂野彦八は、漁民による行商を禁じた郡奉行を諫めるために切腹し、奉行は罷免されたといいます。彦八の没後、その石像が造られましたが、明治時代に石像を移して「都賀比古神社」が創... 2023.05.24 義民の史跡
義民の史跡 伝蔵地蔵(眼目屋与左衛門の義民伝承) 江戸時代、越中国新川郡東水橋村(今の富山県富山市)の米商人・眼目屋与左衛門が飢饉の際に給人蔵を勝手に開放して米を分け与え、生埋めの刑に処せられたと伝わっています。後に人々は供養のために「伝蔵地蔵」を祀りました。 2023.05.23 義民の史跡
義民の史跡 北市騒動供養塔(北市村源右衛門と北市騒動) 宝暦7年(1757)、凶作による米価高騰を機に越中国城端町(今の富山県南砺市)の米屋が打ちこわされる「北市騒動」が起こり、頭取として北市村(今の南砺市)源右衛門らが処刑されました。宝暦8年(1758)には六字名号と刑死者・牢死者の名を刻む供... 2023.05.23 義民の史跡
義民の史跡 安政義人慰霊之碑(長崎村茂右衛門騒動) 安政5年(1858)、加賀藩領内の米価高騰を理由に、山間部の越中国砺波郡長崎村(今の富山県南砺市)をはじめとする五箇山地方の農民らが井波町(今の南砺市)で打ちこわしを行い、頭取として長崎村茂右衛門が磔刑に処せられました。戦後、かつての刑場跡... 2023.05.19 義民の史跡
義民の史跡 漁民義人塚(佐賀野屋久右衛門とバンドリ一揆) 享保元年(1716)、越中国放生津町(今の富山県射水市)では加賀藩により特権を認められた「六軒問屋」に対する反発が高まり、漁民400人が奉行所に強訴する「バンドリ一揆」が起こりました。この責任を負って惣代の佐賀野屋久右衛門ら2人が処刑されま... 2023.05.19 義民の史跡