愛媛

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義民の史跡

義人の碑(蔵川村吉右衛門と蔵川騒動)

明和7年(1770)、凶作が続く大洲藩領の伊予国喜多郡蔵川村(今の愛媛県大洲市)では、多数の百姓が宇和島藩領に逃散する「蔵川騒動」が起こります。大洲藩は首謀者を突き止めようとして庄屋や組頭らを入牢させたため、見かねた平百姓の吉右衛門・新之丞...
義民の史跡

庄右衛門堂(田頭庄右衛門と土生騒動)

江戸時代、伊予国越智郡の弓削島(今の愛媛県越智郡上島町)は今治藩が支配していましたが、宝永5年(1708)以降、災害を理由に組頭の田頭庄右衛門らが庄屋宅に押し掛け年貢減免をたびたび要求し、3人が斬首獄門となりました。この「土生騒動」の後、よ...
義民の史跡

武左衛門大いちょう(上大野村武左衛門と吉田騒動)

寛政5年(1793)、伊予国(愛媛県)吉田藩の紙専売制に反対し、宇和郡上大野村(今の愛媛県北宇和郡鬼北町)百姓・武左衛門らを頭取とする大一揆が起こり、約1万人が宇和島城下に迫りました。吉田藩家老・安藤儀太夫は百姓の面前で失政の責を負い切腹し...
義民の史跡

治兵衛堂(工藤治兵衛と大保木騒動)

江戸時代前期の寛文4年(1664)、米が穫れず難儀をしていた石鎚山麓の村々では、年貢米の銀納を求め、中奥山庄屋・工藤治兵衛らを総代として、西条藩主の一柳直興に直訴に及びました。しかし、願いは聞き届けられなかったばかりか、工藤治兵衛とその倅5...
義民の史跡

三義民の碑(村上平兵衛と西条三万石騒動)

宝暦3年(1753)、伊予国(今の愛媛県)西条藩では年貢を引き上げて財政難を打開しようとしたところ、これに反対する領内百姓らが加茂川原に集まり、藩庁に強訴を行いました。これを「西条三万石騒動」といいますが、西条藩は一揆を解散させた後、頭取と...