秋田

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義民の史跡

史跡五義民首切塚(坊沢の五義民と坊沢村村方騒動)

享保9年(1724)、出羽国秋田郡坊沢村(今の秋田県北秋田市)において、村入用を巡る肝煎との対立から久保田藩に直訴した成田喜兵衛ら「五義民」が処刑されました。後に坊沢集落の永安寺には「五義民地蔵」が、処刑地の桜木岱には「五義民の碑」が建てら...
義民の史跡

甚助神社(佐藤甚助と上到米村越訴)

正保2年(1645)、冷害に悩む出羽国雄勝郡上到米村(今の秋田県雄勝郡羽後町)の長百姓・佐藤甚助は肝煎とともに久保田藩主・佐竹義隆に直訴し、翌年に年貢減免が認められました。その後、甚助の事績を顕彰するため、大正時代に甚助を作神として祀る「甚...
義民の史跡

畑中喜右衛門の碑(畑中喜右衛門と子吉川の河川改修)

万治元年(1658)、出羽国由利郡滝沢郷(今の秋田県由利本荘市)庄屋の畑中喜右衛門は、子吉川の河川改修を代官に執拗に訴えて処刑されました。貞享3年(1686)、その供養のために墓碑として「畑中喜右衛門の碑」が建てられ、現在も墓前で慰霊祭が行...
義民の史跡

青田神社(佐藤仁左衛門と延宝騒動)

延宝7年(1679)、生駒領の出羽国矢島郷(今の秋田県由利本荘市)で重臣の山本一家が増税を強いたため、百姓が江戸に直訴して山本一家は失脚しました。代わって台頭した城代家老・市橋彦兵衛も搾取を続けたため、佐藤仁左衛門らが再度直訴して領主の朱印...