義民の史跡 飯野八兵衛・中垣善三郎の墓(飯野八兵衛と芋八騒動) 挙母藩は寛延2年(1749)の国替えで内藤氏の領地となりましたが、築城などに伴う財政負担が農民に転嫁され、検地や年貢の取立てが厳しく行われるようになりました。そこで宝歴2年(1752)、飯野・迫・四郷・舞木(いずれも今の愛知県豊田市)の4か... 2023.05.14 義民の史跡
義民の史跡 清兵衛地蔵(石上清兵衛と高柳村訴願) 元禄5年(1692)、駿河国志太郡高柳村(今の静岡県藤枝市)の庄屋・石上清兵衛は、数年来の不作を理由として、田中藩の代官に年貢減免を訴願しました。代官に首と引換えにと脅された清兵衛は動じることなく、元禄5年(1692)3月4日に茶屋河原で打... 2023.05.14 義民の史跡
義民の史跡 平称霊神(平井兵左衛門と小豆島正徳一揆) 正徳元年(1711)、高松藩預地となっていた讃岐国小豆島では、池田村(今の香川県小豆郡小豆島町)大庄屋・平井兵左衛門が年貢負担の軽減を求めて幕府に越訴し、斬罪獄門となりました。人々は平井兵左衛門の墓を造り供養するとともに、「平称霊神」として... 2023.05.14 義民の史跡
義民の史跡 平方神明社(平方村新左衛門と新左衛門公事) 延宝3年(1675)、長島藩領の伊勢国桑名郡平方村(今の三重県桑名市)百姓・新左衛門らは、検見舂法の免除を幕府評定所に越訴し、吟味の末獄門となりました。彼らは郷土の義民として平方神明社に祀られています。 2023.05.13 義民の史跡
義民の史跡 義民喜八の碑(辺法寺村喜八と亀山騒動) 明和5年(1768)、伊勢国(今の三重県)亀山藩領の百姓5千人以上が藩の年貢増徴に反対する一揆を起こし、代官罷免などを認めさせました。この一揆は「亀山騒動」と呼ばれますが、頭取の辺法寺村(今の亀山市)喜八らが斬罪となったため、地元には彼を義... 2023.05.13 義民の史跡
義民の史跡 寛政一揆顕彰碑(町井友之丞と安濃津地割騒動) 津藩では郡奉行・茨木理兵衛の下で財政改革が進められていましたが、その一つの均田制により田畑を奪われることを恐れた伊勢国一志郡(今の三重県津市ほか)の農民たちが寛政8年(1796)暮れに蜂起し、その波は安濃郡・奄芸郡にまで広がり、藩政史上最大... 2023.05.13 義民の史跡
義民の史跡 浮石義民墓所(藤井角右衛門と浮石義民事件) 宝永7年(1710)、凶作下で年貢の厳しい取立てを続けた長府藩筆頭家老の椙杜家に対抗し、長門国豊浦郡浮石村(今の山口県下関市)では給庄屋・藤井角右衛門を中心とする5人が幕府巡検使に年貢減免の直訴を行いました。訴願の趣旨は聞き届けられ、年貢は... 2023.05.13 義民の史跡
義民の史跡 本郷村善九郎の墓(万葉善九郎と大原騒動) 江戸時代の飛騨国(今の岐阜県)には幕府直轄地として高山陣屋が置かれていましたが、飛騨代官(郡代)である大原彦四郎・亀五郎父子の悪政に対しては、明和年間・安永年間・天明年間の3度にわたって一揆が発生しています。このうち検地強化を巡る「安永騒動... 2023.05.12 義民の史跡
義民の史跡 建立寺(北野孫兵衛と山代慶長一揆) 慶長13年(1608)、長州藩の慶長検地と高率な年貢に対する反発から、周防国玖珂郡本郷村(今の山口県岩国市)庄屋・北野孫兵衛ら11人を中心とする「山代慶長一揆」が起こり、年貢は引き下げられたものの、11人全員が引地峠で磔となりました。これら... 2023.05.12 義民の史跡
義民の史跡 義人吉左衛門の碑(有田村吉左衛門と広島藩享保一揆) 広島藩では5代藩主・浅野吉長の時代、豪農を所務役人や頭庄屋に任命し、定免制を採用するなどして農村支配の強化を図りました。こうした「正徳新格」に反発し、享保3年(1718)には安芸・備後両国(おおむね今の広島県)にまたがる30万人規模の「享保... 2023.05.11 義民の史跡
義民の史跡 首切り地蔵(上月平左衛門と新野村越訴) 宝永5年(1708)、播磨国神西郡新野村(今の兵庫県神崎郡神河町)の大庄屋・上月平左衛門は、重税に苦しむ農民のため幕府に越訴しようとしますが、途中の根宇野村(今の神河町)で役人に追いつかれ斬殺されてしまいます。村人たちは平左衛門を憐れみ地蔵... 2023.05.10 義民の史跡
義民の史跡 首なし地蔵(牧の徳右衛門と山中一揆) 享保11年(1726)、津山藩主が夭折し減封が見込まれる中、大庄屋や藩役⼈が郷蔵の米を持ち出そうとした事件を契機として、この翌年にかけて美作国山中地方(今の岡山県北部)で4千⼈規模の惣百姓一揆「山中一揆」が発生します。津山藩は武力鎮圧の方針... 2023.05.10 義民の史跡