義民の史跡

義民太郎右衛門霊堂(佐藤太郎右衛門と享保信達一揆)

享保14年(1729)、幕府代官・岡田庄太夫による定免法採用と年貢増徴に反発し、陸奥国信達地方(今の福島県)の百姓が代官所に強訴し、江戸でも佐原村名主・佐藤太郎右衛門が箱訴に及びました。太郎右衛門は捕...
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南山義民之碑(南山義民と会津御蔵入騒動)

享保5年(1720)、生産性が低く年貢やその輸送の負担が大きかった会津御蔵入領の百姓らが江戸に上り負担軽減を直訴する「会津御蔵入騒動」が起こりました。結果として一帯は会津藩預地となり要求は実ったものの...
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首切り地蔵(吉田長次兵衛と磐城平藩元⽂一揆)

元文3年(1738)、磐城平藩の課税強化に反対し、領内百姓2万人が城下に押し寄せ町会所などを打ちこわす「磐城平藩元文一揆」が起こりました。藩は百姓の要求を受け入れ、藩主の内藤政樹は幕府から日向国(今の...
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義民の史跡

大酬恩碑(高梨利右衛門と信夫⽬安事件)

寛文6年(1666)、末期養子で領地を半減された米沢藩が預地の出羽国屋代郷(今の山形県東置賜郡高畠町・米沢市)で激しい収奪を行ったため、二井宿村肝煎の高梨利右衛門が「信夫目安」を信夫代官所に提出し、さ...
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勘十郎堀(市毛藤衛門と水戸藩宝永一揆)

宝永6年(1709)、松波勘十郎を登用して宝永改革を進める水戸藩では、運河開削の労役や賃金未済を巡る百姓の不満が爆発し、支藩・守山藩への強訴が発生しました。この「水戸藩宝永一揆」では、常陸国茨城郡上吉...
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大山騒動義民供養塔(加賀屋弥左衛門と大山騒動)

弘化元年(1844)、出羽国大山地方(今の山形県)を庄内藩預地とする幕命が下り、増税を恐れた幕府領73か村の百姓数千人が一揆を起こしました。この「大山騒動」では造り酒屋の加賀屋弥左衛門らが獄門となった...
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生板の三義人供養塔(片岡万平と生板一揆)

文化14年(1817)、凶作下で重税を課せられた常陸国河内郡生板まないた村(今の茨城県稲敷郡河内町)の百姓・片岡万平らが幕府代官・吉岡次郎右衛門の屋敷に門訴し、さらに勘定奉行に代官の非法を越訴しました...
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岐尼神社(山田屋大助と能勢騒動)

天保8年(1837)、「大塩平八郎の乱」に触発された山田屋大助らは、「徳政」を求めて摂津国能勢郡(今の大阪府)で決起、「徳政大塩味方」の幟を掲げ打ちこわしを行いますが、追手に包囲されたために全員が討死...
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史跡五義民首切塚(坊沢の五義民と坊沢村村方騒動)

享保9年(1724)、出羽国秋田郡坊沢村(今の秋田県北秋田市)において、村入用を巡る肝煎との対立から久保田藩に直訴した成田喜兵衛ら「五義民」が処刑されました。後に坊沢集落の永安寺には「五義民地蔵」が、...
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甚助神社(佐藤甚助と上到米村越訴)

正保2年(1645)、冷害に悩む出羽国雄勝郡上到米村(今の秋田県雄勝郡羽後町)の長百姓・佐藤甚助は肝煎とともに久保田藩主・佐竹義隆に直訴し、翌年に年貢減免が認められました。その後、甚助の事績を顕彰する...
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畑中喜右衛門の碑(畑中喜右衛門と子吉川の河川改修)

万治元年(1658)、出羽国由利郡滝沢郷(今の秋田県由利本荘市)庄屋の畑中喜右衛門は、子吉川の河川改修を代官に執拗に訴えて処刑されました。貞享3年(1686)、その供養のために墓碑として「畑中喜右衛門...
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若宮社(今村久兵衛と片平騒動)

寛永7年(1630)、伊予国久米郡片平村(今の愛媛県松山市)で干魃が起こり、里正(庄屋)の今村久兵衛が検見の上で年貢を減免するよう代官に願い出ますが、聞き届けられることはありませんでした。そこで自暴自...
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