道雲翁之碑(棚橋道雲の義民伝承)

道雲翁之碑 義民の史跡
罪を一身に負い処刑された能書家を讃える碑
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享保20年(1735)、近江国浅井郡香花寺こうけいじ村(今の滋賀県長浜市)では、凶作下での性急な年貢の取立てに反対した村役人らが重罪に問われようとしたところ、棚橋道雲が責任を一身に負って処刑されたと伝わっています。明治時代に入ると、村の神社の境内には彼の功績を顕彰する「道雲翁之碑」が建てられました。

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義民伝承の内容と背景

近江国浅井郡香花寺村では、江戸時代の享保年間に大和国(今の奈良県)郡山藩の柳沢家が領主となりましたが、不作の年にもかかわらず、性急に年貢の取立てを進めました。

庄屋や年寄らが困難を訴えたものの、役人はかえって彼らを重い罪に問おうとしたため、同村の棚橋道雲はこれを見るに忍びず、責任を一身に負って享保20年(1735)正月28日に処刑されたと伝えられています。

棚橋道雲は義侠心に富む人で、名を長兵衛、又は長治郎といい、もとは佐久間大膳を先祖にもつ美濃国(今の岐阜県)の郷士の家系でしたが、道雲の代に至って香花寺村へ移住し、農業をもっぱらにして財産を成したということです。また、特に仮名の書写に巧みで「仮名書道雲」の異名を取る能書家としても知られ、晩年には公卿の烏丸光栄の知遇を得たともいいます。

その他の詳細については不明ですが、明治25年(1895)に棚橋弥三郎らが同村の日吉神社境内に「道雲翁之碑」を建立し、棚橋道雲の「殺身成仁」の偉業を讃えました。この石碑は今も神社の入口近くに残されています。

参考文献

『東浅井郡誌』巻参(黒田惟信編 滋賀県東浅井郡教育会、1927年)pp.868-869
『近江人物志』(滋賀県教育会編 文泉堂、1917年)p.426
『滋賀県の地名』(平凡社地方資料センター編 平凡社、1991年)p.987

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道雲翁之碑の場所(地図)と交通アクセス

名称

道雲翁之碑

場所

滋賀県長浜市香花寺町463

備考

「道雲翁之碑」は、長浜市香花寺町の県道255号早崎湖北線沿いにある旧県社・日吉神社の境内入って右側にあります。篆書で「道雲翁之碑」と題字が刻まれ、その下に伝説の内容や建立年月などが書かれています。マイカーでアクセスする場合、北陸自動車道「小谷城スマートインターチェンジ」からおよそ10分です。公共交通機関を利用する場合、最寄駅はJR北陸本線「虎姫駅」ですが、この駅からは距離にして3キロメートル、徒歩で40分ほどかかります。その他、わかあゆタクシー「香花寺停留所」から徒歩3分ほどですが、このタクシーは登録者のみ乗車可能です。

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