紀州藩士の井沢弥惣兵衛は、宝永7年(1710)にわずか3か月間の工事で亀池を完成させ、周辺の村々を旱魃の被害から守りました。後に将軍・徳川吉宗に召し出され、見沼代用水の開削をはじめとする水利事業で活躍し、大正3年(1914)には池のほとりに「故井沢弥惣兵衛翁之碑」が建てられました。
伝承の内容と背景
宝永7年(1710)正月には、灌漑用水に不足をきたしている亀の川中下流11か村のため、名草郡坂井村(今の海南市)で溜池の造成工事に着手し、延べ5万5千人の人夫と銀71貫匁の費用を投入し、農繁期を避けて4月までのわずか3か月間での完成に漕ぎ着けました。
亀の川上流から取水したため「亀池」と呼ばれたこの溜池は、327町5反歩の田地を潤して旱魃の被害を防ぐもので、周囲4キロメートル、満水面積13ヘクタールの規模を誇り、今でも和歌山県下最大級といわれています。
その後の井沢弥惣兵衛ですが、享保7年(1722)に江戸幕府8代将軍・徳川吉宗に召し出され、翌年以降、幕臣として見沼代用水の開削をはじめとする水利事業で活躍し、勘定吟味役や美濃郡代を歴任した後、元文3年(1738)に76歳で亡くなり、武蔵国江戸麹町十丁目(今の東京都千代田区)の心法寺に葬られました。
弥惣兵衛の恩恵を受けた関東地方の村々では、没後間もない頃から小祠や分骨墓、頌徳碑を建てるなどしていますが、旧紀州藩領においても、大正3年(1914)に紀州徳川家15代当主・徳川頼倫題字の「故井沢弥惣兵衛翁之碑」が亀溜池十一ヶ普通水利組合の手により亀池大堤の上に建てられ、その事績の顕彰が行われています。
このほか、弥惣兵衛生誕の地には「井沢弥惣兵衛顕彰碑」や「井沢弥惣兵衛生家跡碑」が、菩提寺の一つである宗光寺の境内には井沢家墓地から移設された「井沢弥惣兵衛為永翁紀州墓所」があります。
参考文献
- 『海南郷土史』(海南市教育委員会編 臨川書店、1987年)pp.42-44,pp.179-189
- 『海南市史』第1巻 通史編(海南市史編さん委員会編 海南市、1994年)pp.431-434
- 『海南市史』第2巻 各説編(海南市史編さん委員会編 海南市、1990年)pp.711-731
- 『新体系土木工学』別巻 日本土木史(土木学会編、八十島義之助編著 技報堂出版、1994年)pp.104-110
故井沢弥惣兵衛翁之碑の場所(地図)と交通アクセス
名称
故井沢弥惣兵衛翁之碑
場所
和歌山県海南市阪井806番地
関連情報
073-484-3233(海南市物産観光センター)
https://www.city.kainan.lg.jp/kanko/midokoro/kouenn/kameike.html
備考
「故井沢弥惣兵衛翁之碑」は、亀池公園の入口に当たる第一駐車場から園内の遊歩道を東へ600メートルほど進んだ先、亀池の大堤の東端に建てられています。
公共交通機関を用いる場合は、JR紀勢本線「海南駅」から大十バス(登山口方面)乗車10分、「亀池公園」バス停で下車して徒歩20分です。マイカーの場合は、阪和自動車道「海南東インターチェンジ」から国道370号阪井バイパス経由で亀池公園第一駐車場まで5分、駐車場からは徒歩10分となります。
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