北山善次郎夫婦の墓(滝村庄屋・善次郎の越訴)

北村善次郎夫婦の墓 義民の史跡
郡の惣代として江戸で直訴の末に入牢した庄屋の墓
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豊岡藩の減封に伴い幕府直轄領となり、年貢負担が増大した但馬国城崎郡(今の兵庫県豊岡市)50か村では、滝村庄屋・善次郎を惣代として、江戸で負担軽減を求める越訴に及びました。善次郎は足かけ4年にわたる入牢の後に亡くなり、村の総墓地に立派な墓が営まれました。

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義民伝承の内容と背景

但馬国豊岡藩では、享保11年(1726)に4代藩主・京極高寛たかのりがわずか10歳で病没し、そのまま無嗣断絶となるべきところ、所領の3万3千石を1万5千石に減封した上で、弟の京極高永に5代藩主を相続させることが認められました。

翌年の享保12年(1727)、豊岡藩領から幕府直轄領に組み入れられた但馬国城崎郡滝村(今の豊岡市)などの村々は、このことにより年貢の負担が増大したため、たびたび負担軽減の嘆願を繰り返すようになります。

加えて享保17年(1732)には、長雨による冷害と害虫であるウンカの発生により西日本全体が凶作に見舞われる「享保の大飢饉」が発生しており、国立公文書館所蔵の『虫附損毛留書』によれば、豊岡藩が幕府に対して次のように石高の半分近い6千30石あまりの損害を届け出ていたことがわかります。

但州私領城崎郡二方郡頃当夏虫付損毛之覚
 高六千三拾石余
右之通御座候付御届申上候以上
   十月十六日    京極修理
引用:『虫附損毛留書』上

そこで城崎郡50か村の庄屋・年寄・百姓代らは連署の上、滝村庄屋・北山善次郎を惣代として、江戸で訴訟に及ぶことになりました。『豊岡市史』が掲げる当時の「城崎郡新料村々年貢軽減嘆願書」の写しには次のように書かれています。

   乍恐奉御訴訟候口上の覚
但馬国城崎郡新料惣百姓に御座候 

一此度被為仰渡候御年貢銀納御直段の義、(中略)豊岡領御高免の上、御増免を以、御定免取被仰付、至極困窮仕候、其上銀納御直段益高直に御取立被遊候義、此上百姓何を以、上納御皆済可仕哉と、千万迷惑仕候(中略)百姓願の通被為仰付被下候へば、百姓相続仕御慈悲仍難有可奉存候、(後略)

引用:『豊岡市史』史料編 上巻、pp.445-452

豊岡藩領時代にもただでさえ高かった年貢の税率を引き上げられたうえ、豊凶にかかわらず税率が一定の定免法を適用され、さらに石代納として豊岡の米相場の高値を基準に銀納しなければならなくなったことで、村々の百姓はどうして年貢を完納したらよいかわからず困っているというものです。そして、願いのうちひとつでも聞き届けてくれれば幕府の御慈悲によって百姓を続けることができるのでありがたいとしています。

この滝村庄屋の善次郎は 火災で荒廃していた真言宗延寿寺に弥勒堂を復興し、享保6年(1721)に湯島(今の城崎温泉)を訪れた曹洞宗の高僧・桃渓甫仙を住持に迎え入れ、公許を得るために奔走の末、享保11年(1726)には弥勒堂を曹洞宗弥勒寺へと改めた人物です。

享保20年(1735)11月、勘定奉行・稲葉淡路守への駕籠訴を決行した滝村庄屋・善次郎は、捕らえられて伝馬町の牢獄につながれました。3年後の元文3年(1738)、老中の青山下野守・水野出羽守に願意が採り上げられ、赦免を受けて帰村したものの、この間の活動で既に家財は質流れとなり、田畑のほとんども失っていたといいます。

失意のうちに世を去った善次郎の墓は、弥勒寺近くにある滝村の総墓地のもっとも上段に建てられ、正面には「融誉宣流居士」という居士号の戒名が、妻のものである「蓮誉貞傾大姉」と並んで彫られています。

なお、上記の伝承のうち、幕府役人の官職や名前は公式の補任記録と一致しないほか、善次郎の帰村年代が墓碑右側に彫られた「北山善次郎 元文二丁巳十月二十七日」の没年と矛盾するなど、不明な点が少なからず見受けられます。

参考文献

『豊岡市史』上巻(豊岡市史編集委員会編 豊岡市、1981年)
『豊岡市史』史料編 上巻(豊岡市史編集委員会編 豊岡市、1990年)
『続曹洞宗全書』第十巻 寺誌・史伝(曹洞宗全書刊行会編 曹洞宗全書刊行会、1976年)
『五荘村史』(安田清 五荘村史編集委員会、1968年)
内閣文庫影印叢刊『虫附損毛留書』上(国立公文書館内閣文庫、1979年)

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北山善次郎夫婦の墓の場所(地図)と交通アクセス

名称

北山善次郎夫婦の墓

場所

兵庫県豊岡市滝地内

備考

「北山善次郎夫婦の墓」は、国道178号沿いのガソリンスタンド「三菱商事エネルギー セルフ豊岡滝」の北400メートル、滝集落東端の斜面に営まれた共有墓地の最上段にあります。公共交通機関を用いる場合は、JR山陰本線・京都丹後鉄道宮豊線「豊岡駅」から全但バス(豊岡竹野線)乗車20分、「滝」バス停下車、徒歩5分です。マイカーの場合、北近畿豊岡自動車道「豊岡出石インターチェンジ」から15分ほどですが、墓地に駐車場はありません。墓地から1キロメートル西側の国道178号沿いには「豊岡市新堂簡易パーキングエリア」があり、無料で駐車が可能です。

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