義民太郎右衛門霊堂(佐藤太郎右衛門と享保信達一揆)
享保14年(1729)、幕府代官・岡田庄太夫による定免法採用と年貢増徴に反発し、陸奥国信達地方(今の福島県)の百姓が代官所に強訴し、江戸でも佐原村名主・佐藤太郎右衛門が箱訴に及びました。太郎右衛門は捕らえられて翌年に打首獄門となったため、墓所の近くに霊堂が建てられました。
義民伝承の内容と背景
陸奥国の信達地方では、江戸時代を通じて百姓一揆が頻繁に発生しています。
享保14年(1729)には、幕府川俣代官・大森代官を兼務した岡田庄太夫によって、定免法の採用と年貢増徴が矢継ぎ早に行われたため、凶作下でこれに苦しんでいた百姓らによる「享保信達一揆」が勃発しました。
すなわち、信達地方68か村の年貢減免を求めて百姓らが代官所に強訴するとともに、福島藩・二本松藩にも越訴をしますが、その首謀者として捕らえられた伊達郡立子山村(今の福島県福島市)の忠治郎・小左衛門の両名は死罪となり、立子山の疣石峠(いぼいしとうげ)に晒し首にされました。
佐原村の佐藤太郎右衛門は、百姓の代表として江戸に上り、評定所目安箱への投書(箱訴)をして本人不在のまま追放刑となっていますが、なおも江戸に潜伏していた最中に捕縛され、翌年の享保15年(1730)1月21日、佐原荒田口(今のあづま総合運動公園)で同様に打首獄門となりました。
太郎右衛門の墓所の近くには、その霊を慰めるための供養碑や霊堂が建っています。
参考文献
『図説福島県史』(福島県 福島県図書教材、1972年)
『疣石峠の話―享保十四年信達農民強訴物語』(鈴木俊夫 鈴木俊夫、1957年)
義民太郎右衛門霊堂の場所(地図)と交通アクセス
名称
義民太郎右衛門霊堂
場所
福島県福島市佐原西手城森地内
備考
東北自動車道「福島西インターチェンジ」から車で15分の「東北電力荒川発電所」近くの山中にある。舗装道沿いの「義民太郎右衛門霊堂と墓所入口」看板を目印に、未舗装の山道の坂を数分ほど登る。