義民の史跡

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さいの木神社(西尾六右衛門と三庄屋切腹伝承)

延宝6年(1678)、摂津国山口村(今の大阪府大阪市)の西尾六右衛門ら3庄屋は、西中島一帯での水害解消のため、幕府に無断で「中島大水道」を開削しました。彼らは竣工後に無断工事の責を負って切腹したことか...
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朝来義民之碑(松岡新右衛門と享保一揆)

不作に悩む但馬国楽音寺村(今の兵庫県朝来市)では、享保9年(1724)に庄屋・松岡新右衛門が年貢減免を求めて生野代官に嘆願するものの受け入れられず、江戸に上って越訴を繰り返しました。新右衛門は八丈島に...
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義民牛右衛門の碑(正吉村牛右衛門と平福領一揆)

元文4年(1739)、播磨国(兵庫県)の旗本・松井氏領において、折からの不作で困窮した百姓多数が乞食姿で平福宿に押し掛け、往来を妨害したり、酒食を強要する騒ぎが起こりました。この騒動では「張本人」とし...
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風神鎮塚(中平善之進と津野山騒動)

江戸時代中期、土佐藩は専売制の強化で財政再建に当たろうとしますが、産物を安く買い叩こうとする特権商人と百姓らの軋轢が深まり、宝暦5年(1755)、高岡郡檮原村(今の高知県高岡郡檮原町)では一揆寸前の事...
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川崎久左衛門供養塔(川崎久左衛門と岸和田領強訴)

寛永17年(1640)、国替えに伴い年貢負担が増大することを恐れた岸和田藩の領民たちは、和泉国(大阪府)沼村庄屋・川崎久左衛門らを中心に、初入国しようとした領主・岡部宣勝を城下の欄干橋に待ち受けて強訴...
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板屋原神社(佐土原基右衛門の切腹死事件)

江戸時代の天保年間、豊後国(今の大分県)黍野組の大庄屋・佐土原基右衛門は、飢饉を理由に臼杵藩の代官に年貢減免を訴願するものの認められませんでした。さらに藩では黍野組の組替えも強行しようとしたことから、...
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間沢村三霊供養碑(白岩義民と白岩一揆)

寛永10年(1633)、出羽国村山郡白岩郷(今の山形県寒河江市・西村山郡西川町)の百姓が「白岩目安」をもって旗本・酒井忠重の苛政を幕府に直訴し、後に忠重は改易されて代官支配となりました。寛永15年(1...
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大神宮義民七人様の供養碑(大神宮義民七人様と大神宮村越訴)

天和2年(1682)、安房国安房郡大神宮村(今の千葉県館山市)川坂の名主・小柴三郎左衛門らが旗本・河野三左衛門の苛政を幕府老中に越訴するものの、敗訴して身柄を河野家に引き渡され、あわせて7人が処刑され...
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