義民地蔵(笠岡村久兵衛と種麦事件)

義民地蔵 義民の史跡
種麦借受を巡る小作騒動の頭取を祀る地蔵尊
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明和7年(1770)、備中国小田郡笠岡村(今の岡山県笠岡市)では、前年夏の旱魃で困窮したことを理由に、小作人一同で地主のもとに押しかけ、種麦を借り受けようとする騒動が起こりました。事前の寄合で天神山に百人以上の小作人が集まったものの、未遂のまま同村仁王堂町の久兵衛ら頭取2人が死罪となったことから、彼らを悼む供養墓がつくられ、今も地蔵尊とともに祀られています。

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義民伝承の内容と背景

明和6年(1769)、備中国小田郡笠岡村では夏の日照りで作物が実らず、翌年の明和7年(1770)になると、他人の農地を借りて耕作する零細な小作人たちは、畑に蒔くための種麦すら確保できない状況でした。

そこでこの年の8月下旬、小作人らは町方の年行事である孫左衛門のもとに赴き、昨夏の旱損で困窮しているので種麦を借り受けたい旨を愁訴しました。

年行事の孫左衛門は、めいめいの地主に個別に願い出るのであればともかく、小作人同士で示し合わせておおぜいで地主のもとに押しかけ種麦拝借を強いるのは「徒党強訴御禁制」に触れることになると、利害を説いて心得違いのないように促すとともに、庄屋や年寄ら村役人にも事の次第を伝えました。

なお、麦は秋に播種して遅くとも翌年の田植え前までに収穫するのが通例で、昨夏の旱損を理由に翌年8月下旬になってから種麦を要求するのは不自然なことから、『農村社会史論講』では「其年の水田小作料の軽減を要求する下心があった」か、又は「食糧に窮して次年の種麦迄も食って仕舞った」のが真の理由ではないかとしています。

9月に入ると、笠岡村内の仁王堂町に住む百姓・久兵衛を中心として、天神山に小作人一同が集まって寄合を開き、衆議一決の上で地主方に押しかけて「麦種無心ニ可罷越まかりこすべし」という計画が持ち上がります。久兵衛は同町に住む小作人の久蔵を呼び寄せ、来たる8日夜に寄合を開くこと、あわせて不参加の者からは1両2分を申し受けることを、他の小作人たちに触れ回らせました。

約束の9月8日夜には、100人以上の小作人たちが天神山(天満神社)に集まって寄合を催し、この夜はそのまま解散しましたが、同時期に隣接する福山藩で「明和一揆」が勃発し、皆が浮き足立っている状況だったため、事情を知った村役人らが一揆を恐れて笠岡代官所に注進しています。笠岡村庄屋の又左衛門らの申口(供述調書)には、「其みぎり備後国阿部備中守様御領分百姓共及騒動候処、自然人気も立罷在候事故、万一心得違騒立候義も難計」とあります。

寄合後の11日には、いよいよ地主への種麦借受けが決行されることになりました。川辺屋町の借家住まいの水呑百姓・儀(義)兵衛は、同町の八十郎を雇って他の小作人に触れ回らせ、その際に日雇賃として1戸当たり2文を徴収したということです。

そして9月11日朝、連絡を受けて仁王堂町に集合しはじめた小作人たちは、村役人らの通報により張り込んでいた笠岡代官所の捕手によって、途中で一網打尽に召し捕られてしまいました。

笠岡代官所では長らく吟味の末、頭取として久兵衛と儀兵衛に死罪を、頭取の指示で実際に村内を触れ歩いた久蔵ら9人に所払を、その他天神山に集まった人94人には過料銭10貫文を申し渡しましたが、時節柄、未遂で終わったにもかかわらず厳しい処罰が下されています。

2人の処刑は明和9年(1772)6月13日に村はずれの大磯刑場で行われましたが、彼らの死を悼んだ地福寺の栄厳和尚は、四面に俗名、戒名や命日を刻んだ角型の供養墓をつくって刑場に祀りました。現在、この墓は「義民地蔵」の石仏とともに、富岡公園入口の鴨方往来沿いにある小堂の傍らに祀られています。

さらに大正7年(1918)には、この「笠岡小作騒動」からおよそ150年になるのを記念して、後に第29代内閣総理大臣となる犬養毅が揮毫した「一代義心両間正気」の碑が高龗たかおう神社の参道沿いに建てられました。

参考文献

『農村社会史論講』(小野武夫 巌松堂書店、1944年)
『岡山県史』第八巻 近世Ⅲ(岡山県史編纂委員会編 岡山県、1987年)
『笠岡市史』第2巻(笠岡市史編さん室編 笠岡市、1989年)
『笠岡市史』史料編 中巻(笠岡市史編さん室編 笠岡市、2001年)

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義民地蔵の場所(地図)と交通アクセス

名称

義民地蔵

場所

岡山県笠岡市富岡542

備考

「義民地蔵」は、JR山陽本線の線路北側、旧鴨方往来から笠岡公園への入口にある小堂の向かって左側に位置しています。地蔵の台座が墓石となっており、正面に「願主 地福寺 栄厳」、左側面に「俗名 仁王堂町 久兵衛 明和九壬辰天」、右側面に「六月十三日 俗名 川部屋町 義兵衛」、裏面に「旭山照空 理諦信士」とあります。公共交通機関を用いる場合は、JR山陽本線「笠岡駅」から井笠バス(今井循環線)乗車7分、「旧道富岡」バス停下車、徒歩2分となりますが、この路線は運行本数が少なく、駅から直接徒歩で現地に向かう場合はおよそ30分、2キロほどの道のりとなります。マイカーの場合、山陽自動車道「笠岡インターチェンジ」から10分ほどです。

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