百姓一揆総合年表

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2024年6月3日書誌

『百姓一揆総合年表』は、天正18年(1590)から明治10年(1877)までの期間に全国各地で発生した百姓一揆・都市騒擾・村方騒動・国訴を網羅した年表です。百姓一揆としては3,711件、都市騒擾や村方騒動まで合わせると実に7,563件が収録されています。

『百姓一揆総合年表』のあらましと百姓一揆の件数について

『百姓一揆総合年表』は、天正18年(1590)から明治10年(1877)までの288年間に発生した百姓一揆・都市騒擾・村方騒動・国訴を年表形式で取りまとめたものです。

初版発行は昭和46年(1971)、一部内容を変更(「百姓一揆」の一部項目を「村方騒動」に変更、未収項目の追加等)した第2刷の発行が昭和50年(1975)ですが、第2刷時点で収録されている年次別の一揆発生件数を見ると、江戸時代が終焉を迎える慶応3年までの百姓一揆の件数が3,212件、都市騒擾や村方騒動を合わせると6,889件となっています。明治以降は百姓一揆が499件、都市騒擾や村方騒動を合わせると674件です。

歴史の教科書や百科事典の中に百姓一揆の総件数として登場する「およそ3,200件」、あるいは「およそ3,700件」(3,212+499=3,711件)といった数字は、ほぼこの『百姓一揆総合年表』の記載が根拠となっています。

年次別一揆件数(天正18~慶応3)*1
百姓一揆 都市騒擾 村方騒動 合計
総計 3,212 488 3,189 6,889
年次別一揆件数(明治1~10)*2
百姓一揆 都市騒擾 村方騒動 合計
総計 499 24 151 674

年次別一揆件数のグラフ(天正18~明治10)*3

(注)
*1 青木虹二(1975).「表1 年次別一揆件数(天正18~慶応3)」『百姓一揆総合年表』.三一書房.なお、原著に集計誤りと思われる部分がみられるがそのまま掲載した.
*2 青木虹二(1975).「表3 年次別一揆件数(明治1~10)」『百姓一揆総合年表』.三一書房.
*3 上記1,2をもとに作成.ただし、原著に掲げるデータのうち、元号のみ判明し発生年は「不詳」とあるもの及び「年代不明」とあるものは除外した(除外データ).グラフ右下「Edit Chart」のリンクをクリックすれば、作成に使用したデータを確認できる.

『百姓一揆総合年表』は、昭和41年(1966)の『百姓一揆の年次的研究』巻末年表を大幅に増補改訂して独立させたもので、当時横浜市立大学の学生課長だった青木虹二氏が編纂し、三一書房から出版されました。

青木虹二あおきこうじ) 大正13年(1924)新潟市生まれ、日本経済史専攻、昭和24年(1949)東京商科大学(今の一橋大学)卒業、昭和25年(1950)横浜市役所入所、横浜市史編集室員、横浜市立大学学生課長などを経て横浜市企画調整局都市科学研究室副主幹、昭和54年(1979)逝去。『百姓一揆総合年表』のほか、編著書に『百姓一揆の年次的研究』、『編年百姓一揆史料集成』がある。
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『百姓一揆総合年表』の内容や記載例について

『百姓一揆総合年表』の内容は、「百姓一揆年表」、「都市騒擾年表」、「村方騒動年表」、「国訴年表」、「付 中世農民一揆年表」や索引などからなり、特に「百姓一揆年表」の中では、それぞれの項目ごとに発生時期や地域、原因・要求、形態、出典を掲げています。

「百姓一揆年表」の最初の項目は、天正18年(1590)6月20日、豊後国の豊臣秀吉蔵入地で「百姓が薩摩・日向・大隅へ逃亡」した事件の還住命令、最後の項目は、明治10年(1877)11月に千葉県貝渚(かいすか)村で発生した「コレラ予防反対」一揆です。

たとえば、承応元年に若狭国小浜藩領の義民・松木長操が処刑された「松木長操事件」であれば、年表中に次のように記載されます。

『百姓一揆総合年表』の記載例*4
年月日 国名 郡名 藩名 地域 原因・要求 形態 出典
承応
1年

5・16
若狭 遠敷 小浜 熊本・新道・瓜生・三宅・井の口村 年貢引上反対、頭取=名主〔この日、死罪〕(松木長操事件 越訴 松木長操伝(百姓一揆叢談上二一)、遠敷郡誌六六二、若狭小誌二一二、水上勉=城、越若百姓史二〇、九四(嶺信之=玉露叢)、河村仁右衛門=若狭の義民

(注)
*4 青木虹二(1975).『百姓一揆総合年表』.三一書房,p.33.

「出典」は史料名や公刊された書籍の名称、著者、ページ数であり、頻出するものは巻頭に掲げた例にしたがい略称をもって表記されます。たとえば、「百姓一揆叢談上二一」とあれば、黒正巌の著書である『徳川時代百姓一揆叢談』上巻21ページの記載を根拠としたことを示しています。

「形態」には不穏、愁訴、逃散、箱訴、張訴、越訴、強訴、打こわし、蜂起、叛乱、山論、野論、水論、漁論やその未遂が挙げられていますが、必ずしも定義が明確とはいえない部分があります。

このページの執筆者
村松 風洽(フリーライター)