東北地方

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義民の史跡

浅川陣屋刑場跡碑(大竹半十郎と浅川騒動)

寛政10年(1798)、高田藩領である浅川陣屋支配の村々において、大庄屋や駒付役らによる年貢諸役の私的流用に憤った百姓が蜂起する「浅川騒動」が起こりました。藩は大庄屋らを罷免したものの、一揆首謀者として陸奥国白川郡上野出島村(今の福島県白河...
義民の史跡

戸塚義民の墓(戸塚村善兵衛と戸塚騒動)

寛延2年(1749)、陸奥国白川郡戸塚村(今の福島県東白川郡矢祭町)では2年続きの不作で百姓が困窮し、塙代官所に年貢延納や金米借用を強訴する「戸塚騒動」が勃発しました。翌寛延3年(1750)2月には代官所を百姓2千人が包囲し、安楽寺に逃れた...
義民の史跡

菅野八郎自刻之碑(菅野八郎と信達世直し一揆)

慶応2年(1866)、幕府が生糸・蚕種の売買に改印制を導入して冥加金を徴収しようとしたことに反対し、陸奥国信夫・伊達両郡の百姓が蜂起し、役人と結託した商家の打ちこわしを行いました。この「信達世直し一揆」は陸奥国伊達郡金原田村(今の福島県伊達...
義民の史跡

義民斎藤彦内墓所(斎藤彦内と寛延信達一揆)

寛延2年(1749)、冷害による凶作に見舞われた桑折代官所支配68か村の百姓は、年貢減免を求めて代官所を取り囲む強訴に及びました。この「寛延信達一揆」の後、年貢は引き下げられましたが、陸奥国伊達郡長倉村(今の福島県伊達市)の斎藤彦内をはじめ...
義民の史跡

義民太郎右衛門霊堂(佐藤太郎右衛門と享保信達一揆)

享保14年(1729)、幕府代官・岡田庄太夫による定免法採用と年貢増徴に反発し、陸奥国信達地方(今の福島県)の百姓が代官所に強訴し、江戸でも佐原村名主・佐藤太郎右衛門が箱訴に及びました。太郎右衛門は捕らえられて翌年に打首獄門となったため、墓...
義民の史跡

南山義民之碑(南山義民と会津御蔵入騒動)

享保5年(1720)、生産性が低く年貢やその輸送の負担が大きかった会津御蔵入領の百姓らが江戸に上り負担軽減を直訴する「会津御蔵入騒動」が起こりました。結果として一帯は会津藩預地となり要求は実ったものの、小栗山村喜四郎らが晒首となりました。戦...
義民の史跡

首切り地蔵(吉田長次兵衛と磐城平藩元⽂一揆)

元文3年(1738)、磐城平藩の課税強化に反対し、領内百姓2万人が城下に押し寄せ町会所などを打ちこわす「磐城平藩元文一揆」が起こりました。藩は百姓の要求を受け入れ、藩主の内藤政樹は幕府から日向国(今の宮崎県)延岡藩に転封を命じられました。吉...
義民の史跡

大酬恩碑(高梨利右衛門と信夫⽬安事件)

寛文6年(1666)、末期養子で領地を半減された米沢藩が預地の出羽国屋代郷(今の山形県東置賜郡高畠町・米沢市)で激しい収奪を行ったため、二井宿村肝煎の高梨利右衛門が「信夫目安」を信夫代官所に提出し、さらに江戸で越訴しようとして処刑されたとい...
義民の史跡

大山騒動義民供養塔(加賀屋弥左衛門と大山騒動)

弘化元年(1844)、出羽国大山地方(今の山形県)を庄内藩預地とする幕命が下り、増税を恐れた幕府領73か村の百姓数千人が一揆を起こしました。この「大山騒動」では造り酒屋の加賀屋弥左衛門らが獄門となったほか、幕府領の庄内藩への引渡しも実行され...
義民の史跡

史跡五義民首切塚(坊沢の五義民と坊沢村村方騒動)

享保9年(1724)、出羽国秋田郡坊沢村(今の秋田県北秋田市)において、村入用を巡る肝煎との対立から久保田藩に直訴した成田喜兵衛ら「五義民」が処刑されました。後に坊沢集落の永安寺には「五義民地蔵」が、処刑地の桜木岱には「五義民の碑」が建てら...
義民の史跡

甚助神社(佐藤甚助と上到米村越訴)

正保2年(1645)、冷害に悩む出羽国雄勝郡上到米村(今の秋田県雄勝郡羽後町)の長百姓・佐藤甚助は肝煎とともに久保田藩主・佐竹義隆に直訴し、翌年に年貢減免が認められました。その後、甚助の事績を顕彰するため、大正時代に甚助を作神として祀る「甚...
義民の史跡

畑中喜右衛門の碑(畑中喜右衛門と子吉川の河川改修)

万治元年(1658)、出羽国由利郡滝沢郷(今の秋田県由利本荘市)庄屋の畑中喜右衛門は、子吉川の河川改修を代官に執拗に訴えて処刑されました。貞享3年(1686)、その供養のために墓碑として「畑中喜右衛門の碑」が建てられ、現在も墓前で慰霊祭が行...