重清騒動

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義民の史跡

秀塚神社(重清村秀と重清騒動)

宝暦8年(1758)、阿波国美馬郡重清村(今の徳島県美馬市)組頭の妻・お秀は、村を代表して組頭庄屋の不正を徳島藩家老に直訴しました。結果として組頭庄屋は追放されたものの、お秀も鮎喰河原で打首となりました。村人たちはその墓を「秀塚」として鄭重...