昆野八郎右衛門

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義民の史跡

昆野八郎右エ門神社(昆野八郎右衛門と釘子村越訴)

天和2年(1682)、陸奥国磐井郡釘子村(今の岩手県一関市)の地肝煎・昆野八郎右衛門は、重税で疲弊する農民を救うため仙台藩主に直訴し、刑死したといわれています。その後、釘子村では年貢が軽減され穀納から金納に変わったといい、明治時代に義民とし...