義民の史跡 源右衛門・市三郎の墓(小和田組源右衛門と恵蘇郡一揆) 天明6年(1786)、備後国(今の広島県)恵蘇郡で飢饉と村役人の不正を理由に百姓が蜂起し、およそ5千人が山王原に集結しました。広島藩が願書を受け取り年貢減免などを約束したため解散しましたが、後に頭取として小和田組源右衛門らが獄門となりました... 2023.04.30 義民の史跡
義民の史跡 二義少年碑(松原清介と長野村百姓一揆) 長州藩の益田氏給地となっていた周防国長野村(今の山口県山口市)は重税や課役に苦しみ、代官に訴えても叱責を受けるのみでした。そこで宝永7年(1710)、庄屋の子である松原清介と友人の常田角左衛門が藩主に直訴し、願意は認められたものの、2少年と... 2023.04.29 義民の史跡
義民の史跡 義少年合同の碑(二義少年と恋路・七房村水論) 江戸時代前期の寛文年間、周防国恋路村(今の山口県山口市)の2人の少年が、旱害に悩む村人のために宮野川上流の井手を切り、無断で川の水を村の水田まで引き入れました。この一件は上流の村との水論となって容易に解決を見なかったため、2少年は長州藩主・... 2023.04.28 義民の史跡
義民の史跡 定藤仙助の墓(定藤仙助と明和一揆) 明和7年(1770年)、備後国(今の広島県)福山藩領で凶作下での年貢増徴に反対する「明和一揆」が起こりました。結果として借米の年賦払いなどの要求が認められたものの、下竹田村庄屋・定藤仙助らが打首獄門となりました。地元には処刑者を供養する墓碑... 2023.04.24 義民の史跡