義民の史跡 義民田坂市良右衛門碑(田坂市良右衛門の義民伝承) 江戸時代末期の安政年間、岩国藩領の周防国(今の山口県)玖珂郡では、代官が会所に客人を集め贅沢にふけっていました。代官を諌めた田坂市良右衛門は流罪となりますが、村民が家老に訴え出たため釈放されました。後に市良右衛門は庄屋の助役にあたる刀祢に任... 2023.06.25 義民の史跡
義民の史跡 東村勘右衛門碑(松田勘右衛門と鳥取藩元文一揆) 元文4年(1739)、凶作にもかかわらず請免制による厳しい年貢取立てが行われた鳥取藩領では、5万人規模の惣百姓一揆「元文一揆」が勃発し、藩は郡代の米村所平を御役御免にするなどして事態の収拾を図りました。一方で因幡国八東郡東村(今の鳥取県八頭... 2023.06.13 義民の史跡
義民の史跡 宅和伊助翁神霊碑(宅和伊助と神門郡強訴) 享保17年(1732)、出雲国神門郡松寄下村庄屋・伊助と荒木村庄屋・源左衛門(いずれも今の島根県出雲市)は、蝗害による年貢減免を松江藩庁に訴えました。しかし、検見のために出張してきた藩役人が到着するよりも前に、地元百姓によって勝手に稲が刈り... 2023.06.12 義民の史跡
義民の史跡 元文一揆発頭人慰霊碑(北野村藤九郎と横仙一揆) 元文4年(1739)、不作が続く美作国勝北郡(今の岡山県)の幕府領で百姓3千人が蜂起し、野非人の扮装で富家に押し掛け米や金銭を要求し、鎮圧後に北野村(今の勝田郡奈義町)藤九郎・与三右衛門が死罪となりました。現地には「元文一揆発頭人義民藤九郎... 2023.06.11 義民の史跡
義民の史跡 新本義民碑(義民四人衆と新本義民騒動) 享保3年(1718)、岡田藩に入会山を接収された備中国下道郡新庄村・本庄村(いずれも今の岡山県総社市)の百姓惣代4人が江戸に出向いて藩主・岡田長救に直訴し、入会地の藩有化と賦役は解消されたものの、4人は飯田屋河原で死罪となりました。この「新... 2023.06.09 義民の史跡
義民の史跡 浮石義民墓所(藤井角右衛門と浮石義民事件) 宝永7年(1710)、凶作下で年貢の厳しい取立てを続けた長府藩筆頭家老の椙杜家に対抗し、長門国豊浦郡浮石村(今の山口県下関市)では給庄屋・藤井角右衛門を中心とする5人が幕府巡検使に年貢減免の直訴を行いました。訴願の趣旨は聞き届けられ、年貢は... 2023.05.13 義民の史跡
義民の史跡 建立寺(北野孫兵衛と山代慶長一揆) 慶長13年(1608)、長州藩の慶長検地と高率な年貢に対する反発から、周防国玖珂郡本郷村(今の山口県岩国市)庄屋・北野孫兵衛ら11人を中心とする「山代慶長一揆」が起こり、年貢は引き下げられたものの、11人全員が引地峠で磔となりました。これら... 2023.05.12 義民の史跡
義民の史跡 義人吉左衛門の碑(有田村吉左衛門と広島藩享保一揆) 広島藩では5代藩主・浅野吉長の時代、豪農を所務役人や頭庄屋に任命し、定免制を採用するなどして農村支配の強化を図りました。こうした「正徳新格」に反発し、享保3年(1718)には安芸・備後両国(おおむね今の広島県)にまたがる30万人規模の「享保... 2023.05.11 義民の史跡
義民の史跡 首なし地蔵(牧の徳右衛門と山中一揆) 享保11年(1726)、津山藩主が夭折し減封が見込まれる中、大庄屋や藩役⼈が郷蔵の米を持ち出そうとした事件を契機として、この翌年にかけて美作国山中地方(今の岡山県北部)で4千⼈規模の惣百姓一揆「山中一揆」が発生します。津山藩は武力鎮圧の方針... 2023.05.10 義民の史跡
義民の史跡 素盞嗚神社(徳永徳右衛門と福山藩天明一揆) 天明6年(1786)、備後国(今の広島県)福山藩領では、地方巧者・遠藤弁蔵の重税路線に耐えかねた百姓が蜂起し、年末にいったん沈静化するものの翌年になって再燃、庄屋宅の打ちこわしや隣藩・岡山藩への越訴を行いました。この「福山藩天明一揆」では、... 2023.05.10 義民の史跡
義民の史跡 富貴神社(吉松仁右衛門父子冤罪一件) 江戸時代中期のこと、石見国柳村(今の島根県鹿足郡津和野町)の蔵方・吉松仁右衛門は、上納紙を巡る庄屋の不正を代官に告発し、藩主にも直訴しようとして津和野城下に至りました。仁右衛門は延享2年(1745)に処刑されますが、以後城下で火災が相次いだ... 2023.05.05 義民の史跡
義民の史跡 天保大一揆発祥之地碑(吉部村弥右衛門と防長大一揆) 天保2年(1831)、長州藩の専売制強化などへの不満から、周防・長門(今の山口県)両国の約10万人が参加する全藩一揆「防長大一揆」が発生し、各地の庄屋宅などを打ちこわして回りました。一揆は藩兵により鎮圧され、吉部村畔頭・片山弥右衛門らが誅罰... 2023.05.04 義民の史跡