義民の史跡 川合伊左衛門・川合久右衛門之碑(義民伊左久右の伝承) 天和元年(1681)、不漁・不作による困窮から三河国渥美郡中山村(今の愛知県田原市)庄屋の河合伊左衛門らが御領林の立木払下げを領主の旗本・清水権之助に直訴し、代官の讒言で斬罪となりました。地元では「義民伊左久右」と崇められ、後に石碑も建てら... 2023.05.26 義民の史跡
義民の史跡 義人平野源蔵・竹本庄右衛門顕彰碑(平野源蔵と11か村入会山論) 江戸時代の寛文年間、三河国(今の愛知県)宝飯郡で入会山論が起き、広石村庄屋・平野源蔵と組頭・竹本庄右衛門が地元9か村を代表して幕府の牛久保代官所に直訴しました。罪に問われた平野源蔵と竹本庄右衛門は寛文9年(1669)に打首となりますが、結果... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 永安寺(柴田助太夫と大浜茶屋村の愁訴) 延宝5年(1677)、三河国碧海郡大浜茶屋村(今の愛知県安城市)庄屋・柴田助太夫は、助郷役免除の訴願を繰り返し、この年死罪になったと伝えられます。しかし、この助太夫の訴願により、大浜茶屋村では以後幕末に至るまで助郷役が免除されることとました... 2023.05.23 義民の史跡
義民の史跡 中川覚右衛門墓碑(中川覚右衛門の切腹伝承) 安永8年(1779)、三河国碧海郡安城村(今の愛知県安城市)では日照りや洪水のために不作となり、庄屋の中川覚右衛門は領主である久永内記に年貢減免を嘆願するものの認められませんでした。そこで覚右衛門は郷倉で切腹して果て、さすがの領主も年貢を減... 2023.05.22 義民の史跡
義民の史跡 義人庄屋源吉頌徳碑(高足村源吉の義民伝承) 三河国渥美郡高足村(今の愛知県豊橋市)庄屋・源吉は吉田藩に年貢減免をたびたび嘆願し、安永3年(1774)に要求は認められるものの、若くして病死したといいます。現地には源吉の墓のほか、頌徳碑が建てられています。 2023.05.21 義民の史跡
義民の史跡 留魂之地碑(河合清右衛門と比留輪山騒動) 三河国渥美郡野田村と赤羽根村(いずれも今の田原市)の両村では、しばしば比留輪山を巡る山論が発生していました。寛文13年(1673)、野田村では幕府に越訴を繰り返し、評定所の裁決で枝打ちなどの権利を認めさせましたが、頭取として河合清右衛門が獄... 2023.05.14 義民の史跡
義民の史跡 滝脇村石御堂(松平辰蔵と加茂一揆) 天保7年(1836)、三河国(今の愛知県)加茂郡で凶作や米価高騰を機に「加茂一揆」が勃発し、額田郡を合わせ1万人規模に拡大しました。彼らは下河内村(今の豊田市)の松平辰蔵を頭取として、「世直し」を称して酒屋などを打ちこわしながら挙母城下に迫... 2023.05.14 義民の史跡
義民の史跡 飯野八兵衛・中垣善三郎の墓(飯野八兵衛と芋八騒動) 挙母藩は寛延2年(1749)の国替えで内藤氏の領地となりましたが、築城などに伴う財政負担が農民に転嫁され、検地や年貢の取立てが厳しく行われるようになりました。そこで宝歴2年(1752)、飯野・迫・四郷・舞木(いずれも今の愛知県豊田市)の4か... 2023.05.14 義民の史跡