義民の史跡 横吹地蔵尊(上新田村藤助と安永中野騒動) 安永6年(1777)、年貢皆済期日の前倒しを命じられた信濃国(今の長野県)中野陣屋支配の村々が蜂起し、近隣諸藩の出兵により鎮圧されました。この「安永中野騒動」の頭取として上新田村(今の飯山市)藤助らが獄門となり、供養のために「横吹地蔵尊」が... 2023.05.16 義民の史跡
義民の史跡 九兵衛地蔵(西原九兵衛と飯山騒動) 天保8年(1837)、信濃国(今の長野県)飯山藩領の百姓が豪農の屋敷を打ちこわすとともに年貢減免を藩庁に要求する「飯山騒動」が起こりました。飯山藩では多くの百姓を捕らえて拷問により白状を引き出し、「無実之罪」を主張する水内郡浅野村(今の長野... 2023.05.16 義民の史跡
義民の史跡 馬原供養塔(穴井六郎右衛門と馬原騒動) 延享3年(1746)、豊後国日田郡馬原(まばる)村(今の大分県日田市)庄屋・穴井六郎右衛門ら3人は、幕府日田代官・岡田庄太夫俊惟(としただ)の苛政に対抗し、年貢減免と夫食米借用を求めて江戸で越訴に及びました。いったん帰国した一同は代官に捕ら... 2023.05.16 義民の史跡
義民の史跡 与兵衛明神(増田与兵衛の越訴) 天和2年(1682)信濃国小県郡入奈良本村(今の長野県小県郡青木村)百姓・増田与兵衛は、庄屋の不正を上田藩主に直訴して処刑されたと伝わっています。現地には与兵衛を祀る「与兵衛明神」の小祠があります。 2023.05.15 義民の史跡
義民の史跡 勇吉宮(堀内勇吉の越訴) 文化6年(1809)、信濃国小県郡入奈良本村(今の長野県小県郡青木村)の百姓たちは、宿場の新建て反対と庄屋の非違を訴願するため上田城下に押し寄せ、頭取の堀内勇吉が永牢となりました。勇吉は後に「勇吉宮」に祀られ、今も現地には小祠が鎮座していま... 2023.05.15 義民の史跡
義民の史跡 新七稲荷(平林新七の越訴) 享保6年(1721)、信濃国小県郡中挾村(今の長野県小県郡青木村)組頭・平林新七は、同村の西上地籍が古くから検地役人が入らないしきたりとなっていることを訴えたものの聞き入れられず、検地を強行しようとした役人を鎌で斬り殺して死罪になったとも、... 2023.05.15 義民の史跡
義民の史跡 明和義民の碑(明和義民と盛枡騒動) 明和3年(1766)、大垣藩の年貢増徴策に対抗し、美濃国池田筋(今の岐阜県)ほかの農民が決起する「盛枡騒動」が起き、盛枡廃止や救米の要求が認められたものの、頭取として4人が処刑されました。彼らは「明和義民」と呼ばれ、地元に墓や顕彰碑が建てら... 2023.05.15 義民の史跡
義民の史跡 宝暦義民の碑(清水半平と上田騒動) 宝暦11年(1761)、信濃国(今の長野県)上田藩領で年貢減免や役人罷免を求める惣百姓一揆「上田騒動」が発生し、家老が一揆勢の要求を江戸表に注進することを約束したため、上田城下での打ちこわしは終息しました。その後、頭取として夫神村(今の小県... 2023.05.15 義民の史跡
義民の史跡 義民小村田之助墓所(小村田之助の義民伝承) 寛永20年(1643)、讃岐国山田郡小村(おもれ)(今の香川県高松市)を干魃が襲い、庄屋の小村田之助は、皆済できなければ庄屋が私費で弁済する条件で困窮百姓の年貢分納を高松藩に提案しました。しかし、庄屋の分際で不遜として翌年斬首され、幕末にな... 2023.05.15 義民の史跡
義民の史跡 井之宮神社(中条右近太夫と嶺田村越訴) 寛永3年(1626)、遠江国城東郡嶺田村(今の静岡県菊川市)の中条右近太夫は、水不足に悩む村人たちのため、密かに土地を測量の上で、灌漑用水の開削を将軍に直訴しました。右近太夫は処刑されるものの、天下普請により「嶺田用水」が完成したことから、... 2023.05.14 義民の史跡
義民の史跡 留魂之地碑(河合清右衛門と比留輪山騒動) 三河国渥美郡野田村と赤羽根村(いずれも今の田原市)の両村では、しばしば比留輪山を巡る山論が発生していました。寛文13年(1673)、野田村では幕府に越訴を繰り返し、評定所の裁決で枝打ちなどの権利を認めさせましたが、頭取として河合清右衛門が獄... 2023.05.14 義民の史跡
義民の史跡 滝脇村石御堂(松平辰蔵と加茂一揆) 天保7年(1836)、三河国(今の愛知県)加茂郡で凶作や米価高騰を機に「加茂一揆」が勃発し、額田郡を合わせ1万人規模に拡大しました。彼らは下河内村(今の豊田市)の松平辰蔵を頭取として、「世直し」を称して酒屋などを打ちこわしながら挙母城下に迫... 2023.05.14 義民の史跡