伊予西条藩の郡奉行・竹内立左衛門は、天明2年(1782)、藩命による干拓工事を通じて「禎瑞新田」を完成させ、同年「嘉母神社」が創建されました。立左衛門が寛政3年(1791)に病没すると、その霊を祀る「早苗神社」が境内末社となり、後に相殿神として合祀されて現在に至ります。
伝承の内容と背景
藩公の命を受けて新田築立の総元掛となった竹内立左衛門は、今の嘉母神社の本殿のあたりに社壇を築いて祭事を行った上で、この年の6月から工事に着手し、足掛け5年をかけて天明2年(1782)に300町歩(一説に250町歩)に及ぶ「禎瑞新田」を完成させました。この工事には銀1千貫以上、人夫延べ58万人(一説に130万人とも)を要したといわれます。
同時に、この地には惣百姓の氏神として「嘉母神社」が勧請されましたが、寛政3年(1791)に新田開発の立役者であった竹内立左衛門が54歳で病没すると、その霊を祀る「早苗神社」が境内末社として建てられ、命日の2月9日が祭日となりました。
また、竹内立左衛門の遺骸は城下の宝蓮寺に埋葬され、藩主により「大烈院忠元純義居士」と刻む墓碑が建てられましたが、明治時代に禎瑞新田の補陀落寺を中興した住職・真道慈教も同寺に分骨墓を建てています。
さらに、明治29年(1896)には、竹内立左衛門の功績を讃えるため、西条藩出身で東京府知事も務めた三浦安の撰文による「禎瑞新田之碑」が境内に建てられ、昭和33年(1958)の開拓180年記念祭に当たっては、これまで「早苗神社」に祀られていた竹内立左衛門が「嘉母神社」の相殿神として合祀されて現在に至ります。
参考文献
- 『禎瑞新開干拓二〇〇年史話』(秋山英一編 秋山英一、1977年)pp.9-11
- 『郷土を救った人びと-義人を祀る神社-』(神社新報社編 神社新報社、1981年)pp.290-291
- 『愛媛県史』社会経済2(愛媛県編 愛媛県、1985年)p.872
- 『伊予史談』314号(高須賀康生編 伊予史談会、1999年)pp.1-8
嘉母神社の場所(地図)と交通アクセス
名称
嘉母神社
場所
愛媛県西条市禎瑞645
関連情報
http://ehime-jinjacho.jp/jinja/?p=7295 0897-55-3678(嘉母神社)
備考
「嘉母神社」は、JR予讃線「石鎚山駅」から北に2キロメートル、加茂川の堤防道路下に鎮座しています。堤防道路の路側には安政年間に奉納された一の鳥居があり、石鎚山旧大鎖を手すりとして用いた石段を降りると、二の鳥居を潜って境内に至ります。「嘉母神社」へのアクセスは、「石鎚山駅」から徒歩30分、松山自動車道「いよ小松インターチェンジ」から車で15分となっています。境内には自動車の駐車が可能です。
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