義民の史跡

義民の史跡 義民の史跡
義民松木庄左衛門像

このカテゴリでは公益のために身命を賭して戦った義民の事績、関連する史跡と交通アクセス、参考となる文献などについて紹介しています。

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義民宗次郎の碑(畝傍村宗次郎と旗本神保氏領強訴)

明和5年(1768)、大和国(今の奈良県)では凶作をきっかけに旗本・神保氏領内の9か村、千人あまりの百姓が池尻陣屋へ強訴に及び、不納銀の取立て免除などの要求を代官に認めさせました。その後の厳しい吟味に...
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平吉霊神(安住寺村平吉と村方騒動)

江戸時代中期、淡路国三原郡安住寺村(今の兵庫県南あわじ市)の平吉は、年貢米の取立てを巡る庄屋の不正を藩に直訴し、百姓の負担は軽くなったものの、自身は入牢の末に牢死したとも、死罪になったともいわれます。...
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五社霊神(渡部権太夫と徳能村箱訴事件)

伊予国桑村郡徳能村(今の愛媛県西条市)の庄屋・渡部権太夫は、西国巡礼を装って江戸に上り、目安箱に訴状を投じて松山藩の苛政を改めさせたと伝えられます。貞享3年(1686)、藩政を誹謗した罪により権太夫の...
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若杉霊神(若杉春后と諫早騒動)

寛延3年(1750)、佐賀藩の御家騒動に端を発し、諫早領1万石の減知反対を求める「諫早騒動」が起こります。この一揆には武士・町民・農民までが参加し、1万人以上が佐嘉城下へ強訴しようとしたほか、大坂町奉...
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義民地蔵(笠岡村久兵衛と種麦事件)

明和7年(1770)、備中国小田郡笠岡村(今の岡山県笠岡市)では、前年夏の旱魃で困窮したことを理由に、小作人一同で地主のもとに押しかけ、種麦を借り受けようとする騒動が起こりました。事前の寄合で天神山に...
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福田越の七人塚(丸山清右衛門と三次藩全藩一揆)

享保3年(1718)正月、備後国(今の広島県)三次藩では、参加者5千人ともいわれる「三次藩全藩一揆」が起こりました。この一揆では郷代官制度の廃止などの成果が得られたものの、12月になると頭取の処罰がは...
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与七の墓(鳥取藩元文一揆と木料村与七)

江戸時代中期の元文4年(1739)、鳥取藩領の因幡・伯耆両国(今の鳥取県)で大規模な全藩一揆「元文一揆」が勃発しました。伯耆国汗入郡木料村(今の西伯郡名和町)の与七は、富農を襲い借銀を10年賦にするよ...
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貝吹山(土井忠兵衛と千原騒動)

天明2年(1782)、木綿の不作で困窮する和泉国(今の大阪府)一橋領54か村では、年貢の減免や延納を求めて多くの百姓が集会を催し、年貢銀の徴収に当たる下掛屋が打ちこわされました。この「千原騒動」で合図...
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義民小平次之碑(森田小平次と馬場村一揆)

江戸時代、折からの旱害と蝗害により飢饉に陥った和泉国日根郡馬場村(今の大阪府泉南市)では、森田小平次が他の17人とともに郷蔵を破り、村人に米を分け与えたと伝えられます。17人の身代わりとしてひとり処刑...
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北山善次郎夫婦の墓(滝村庄屋・善次郎の越訴)

豊岡藩の減封に伴い幕府直轄領となり、年貢負担が増大した但馬国城崎郡(今の兵庫県豊岡市)50か村では、滝村庄屋・善次郎を惣代として、江戸で負担軽減を求める越訴に及びました。善次郎は足かけ4年にわたる入牢...
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伊曽島神社(福豊十六人衆と豊松新田・福井新田越訴)

木曽三川の河口に当たる豊松新田・福井新田(今の三重県桑名市)はたびたび洪水の被害に悩まされており、享保10年(1725)に儀左衛門らあわせて16人の「福豊十六人衆」が幕府老中に直訴した結果、享保13年...
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栗村吉次郎の墓(綾部藩領栗村吉次郎の強訴)

元文元年(1736)、前年に大規模な百姓一揆が起きていた綾部藩領では、丹波国何鹿郡栗村(今の京都府綾部市)の高橋吉次郎が強訴の罪をもって打首となりました。吉次郎が葬られた本福寺では、供養のために吉次郎...
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