先賢・循吏の史跡

先賢・循吏の史跡

このカテゴリでは善政を行ったとされる領主、代官や経世家などの事績を紹介しています。

広告
先賢・循吏の史跡

蔵沢翁碑(松山藩代官・吉田蔵沢の顕彰碑)

南画家としても知られる松山藩士・吉田蔵沢は、宝暦13年(1763)から18年にわたって代官として民政を担い、正直明白の徳をもって領民を感化したといいます。81歳で亡くなると大法寺に葬られ、昭和9年(1...
先賢・循吏の史跡

吉田庄太夫正礼顕彰碑(熊野一揆と吉田庄太夫の切腹)

安政年間の「熊野一揆」を巡り、江戸から派遣された紀州藩士・吉田庄太夫は、独断で原因となった村替えの中止を決めると、責任を取り切腹して果てました。感謝した人々は庄太夫を神に祀り、今も顕彰が続いています。
先賢・循吏の史跡

五味藤九郎碑(京都代官・五味豊旨と上高野用水)

江戸時代前期のこと、禁裏御料だった山城国愛宕郡高野村(今の京都府京都市左京区)には高野川が流れていたものの、標高差があるため水不足に苦しんでいました。京都代官・五味藤九郎豊旨は、難工事の末に「上高野用...
先賢・循吏の史跡

嘉母神社(竹内立左衛門と禎瑞新田の開発)

伊予西条藩の郡奉行・竹内立左衛門(たけのうちりゅうざえもん)は、天明2年(1782)、藩命による干拓工事を通じて「禎瑞(ていずい)新田」を完成させ、同年「嘉母神社」が創建されました。立左衛門が寛政3年...
先賢・循吏の史跡

篠山神社(大坂代官・篠山景義と難波青物市場の成立)

江戸時代の大阪では天満市場が野菜類の取引を独占していましたが、摂津国西成郡難波村(今の大阪府大阪市浪速区)の農民らは直売を認めるよう役所に嘆願を繰り返しました。文化6年(1809)、大坂代官・篠山景義...
先賢・循吏の史跡

三王神社(原喜右衛門と藤森堤)

江戸時代前期、吉野川の洪水による被害を防ぐため、徳島藩の貞光(さだみつ)代官・原喜右衛門は石積みの「藤森堤」を築堤しました。しかしながら、その過程で周辺の村々に夫役を命じたことが藩主への直訴を招き、喜...
先賢・循吏の史跡

堀川改修記念碑(小浜町奉行・武久権十郎と堀川開削)

江戸幕末にしばしば大火に見舞われた若狭国遠敷(おにゅう)郡小浜町(今の福井県小浜市)では、町奉行の武久権十郎(たけひさごんじゅうろう)が町方の助力を得て堀川を開削し、以後大火のおそれはなくなりました。...
先賢・循吏の史跡

鑑雄神社(岡村十兵衛の自刃事件)

貞享元年(1684)、不作・不漁で餓死者も出た土佐国安芸郡(あきぐん)羽根浦(今の高知県室戸市)では、土佐藩分一役(ぶいちやく)として赴任していた岡村十兵衛が、藩の許可なく米蔵を開いて飢えた人々に米を...
先賢・循吏の史跡

西与一左衛門の碑(代官・西与一左衛門と海津浜の石積)

近江国高島郡の海津浜(今の滋賀県高島市)では、高波により宅地や道路が冠水する被害がしばしば生じていたことから、甲府藩領の代官であった西与一左衛門は、元禄16年(1703)におよそ1.2キロメートルにわ...
先賢・循吏の史跡

一木神社(一木権兵衛と室津港改修)

土佐国土佐郡布師田(ぬのしだ)村(今の高知県高知市)の一木権兵衛は、土佐藩の野中兼山に認められて普請奉行となり、室津港の改修を指揮しました。工事の支障となる港口の岩礁に悩まされた権兵衛は、海神に牲(い...
先賢・循吏の史跡

若宮神社(久美浜代官・和田主馬の生祠)

幕府久美浜代官であった和田主馬は、天保の飢饉に際して年貢を減免するなど善政を施したため、郡内各地に若宮として祀られました。現在も矢田八幡神社には和田主馬の名を刻んだ若宮神社の石塔が残されています。
先賢・循吏の史跡

山中神明宰の碑(山中太郎右衛門と天明の飢饉)

幕府陸奥代官だった山中太郎右衛門は、天明3年(1783)の飢饉に際し、独断で年貢を収納していた上米蔵(じょうまいぐら)を開いて出羽国置賜郡屋代郷(今の山形県東置賜郡高畠町)の人々に施しました。これに感...
広告
タイトルとURLをコピーしました