先賢・循吏の史跡

先賢・循吏の史跡 先賢・循吏の史跡

このカテゴリでは善政を行ったとされる領主、代官や経世家などの事績を紹介しています。

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先賢・循吏の史跡

三王神社(原喜右衛門と藤森堤)

江戸時代前期、吉野川の洪水による被害を防ぐため、徳島藩の貞光(さだみつ)代官・原喜右衛門は石積みの「藤森堤」を築堤しました。しかしながら、その過程で周辺の村々に夫役を命じたことが藩主への直訴を招き、喜...
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堀川改修記念碑(小浜町奉行・武久権十郎と堀川開削)

江戸幕末にしばしば大火に見舞われた若狭国遠敷(おにゅう)郡小浜町(今の福井県小浜市)では、町奉行の武久権十郎(たけひさごんじゅうろう)が町方の助力を得て堀川を開削し、以後大火のおそれはなくなりました。...
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鑑雄神社(岡村十兵衛の自刃事件)

貞享元年(1684)、不作・不漁で餓死者も出た土佐国安芸郡(あきぐん)羽根浦(今の高知県室戸市)では、土佐藩分一役(ぶいちやく)として赴任していた岡村十兵衛が、藩の許可なく米蔵を開いて飢えた人々に米を...
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西与一左衛門の碑(代官・西与一左衛門と海津浜の石積)

近江国高島郡の海津浜(今の滋賀県高島市)では、高波により宅地や道路が冠水する被害がしばしば生じていたことから、甲府藩領の代官であった西与一左衛門は、元禄16年(1703)におよそ1.2キロメートルにわ...
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一木神社(一木権兵衛と室津港改修)

土佐国土佐郡布師田(ぬのしだ)村(今の高知県高知市)の一木権兵衛は、土佐藩の野中兼山に認められて普請奉行となり、室津港の改修を指揮しました。工事の支障となる港口の岩礁に悩まされた権兵衛は、海神に牲(い...
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若宮神社(久美浜代官・和田主馬の生祠)

幕府久美浜代官であった和田主馬は、天保の飢饉に際して年貢を減免するなど善政を施したため、郡内各地に若宮として祀られました。現在も矢田八幡神社には和田主馬の名を刻んだ若宮神社の石塔が残されています。
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山中神明宰の碑(山中太郎右衛門と天明の飢饉)

幕府陸奥代官だった山中太郎右衛門は、天明3年(1783)の飢饉に際し、独断で年貢を収納していた上米蔵(じょうまいぐら)を開いて出羽国置賜郡屋代郷(今の山形県東置賜郡高畠町)の人々に施しました。これに感...
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豊池神社(林六三郎と建地築堤)

田辺藩郡奉行の林六三郎は、干ばつに悩む丹後国加佐郡上福井村のため、隣村・上東村(かみひがしむら)(ともに今の京都府舞鶴市)との共同水利として、建地峠(たけじとうげ)でのため池造成を推進しました。「豊池...
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本庄重政墓

江戸前期、福山藩水野家に仕えた本庄(本荘)重政は、松永湾を干拓して塩田を開き、昭和に至るまで地域の主要産業となる製塩業の基礎を築きました。延宝4年(1676)に亡くなった重政は、菩提寺の承天寺に葬られ...
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小林大明神(小林孫四郎政用と柳野呂堤防)

安永8年(1779)に生野代官となった小林孫四郎政用は、領民から「慈愛ノ御代官」と慕われ、円山川と神子畑川の合流部に「柳野呂堤防」を築いて農地を水害から守った事績が伝わっています。人々は堤防上に「小林...
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小島蕉園翁頌徳碑

徳川御三卿の一つ・田安家の代官として甲斐国(今の山梨県)田中陣屋に赴任した小島蕉園は、善政をもって領民に慕われ、官を辞して後は江戸で医者として生計を立てていました。もとの領民たちは惣代3人を江戸に派遣...
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全国の幕府代官所・郡代役所の一覧

以下は江戸幕府が全国に開設していた代官所・郡代役所の位置を地図上に打鋲したものです。江戸時代末期の文久3年(1863)を基準としているため、年代によってはこれ以外にも多くの代官所が開設されていました。...
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