山口

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義民の史跡

義民田坂市良右衛門碑(田坂市良右衛門の義民伝承)

江戸時代末期の安政年間、岩国藩領の周防国(今の山口県)玖珂郡では、代官が会所に客人を集め贅沢にふけっていました。代官を諌めた田坂市良右衛門は流罪となりますが、村民が家老に訴え出たため釈放されました。後に市良右衛門は庄屋の助役にあたる刀祢に任...
義民の史跡

浮石義民墓所(藤井角右衛門と浮石義民事件)

宝永7年(1710)、凶作下で年貢の厳しい取立てを続けた長府藩筆頭家老の椙杜家に対抗し、長門国豊浦郡浮石村(今の山口県下関市)では給庄屋・藤井角右衛門を中心とする5人が幕府巡検使に年貢減免の直訴を行いました。訴願の趣旨は聞き届けられ、年貢は...
義民の史跡

建立寺(北野孫兵衛と山代慶長一揆)

慶長13年(1608)、長州藩の慶長検地と高率な年貢に対する反発から、周防国玖珂郡本郷村(今の山口県岩国市)庄屋・北野孫兵衛ら11人を中心とする「山代慶長一揆」が起こり、年貢は引き下げられたものの、11人全員が引地峠で磔となりました。これら...
義民の史跡

天保大一揆発祥之地碑(吉部村弥右衛門と防長大一揆)

天保2年(1831)、長州藩の専売制強化などへの不満から、周防・長門(今の山口県)両国の約10万人が参加する全藩一揆「防長大一揆」が発生し、各地の庄屋宅などを打ちこわして回りました。一揆は藩兵により鎮圧され、吉部村畔頭・片山弥右衛門らが誅罰...
義民の史跡

二義少年碑(松原清介と長野村百姓一揆)

長州藩の益田氏給地となっていた周防国長野村(今の山口県山口市)は重税や課役に苦しみ、代官に訴えても叱責を受けるのみでした。そこで宝永7年(1710)、庄屋の子である松原清介と友人の常田角左衛門が藩主に直訴し、願意は認められたものの、2少年と...
義民の史跡

義少年合同の碑(二義少年と恋路・七房村水論)

江戸時代前期の寛文年間、周防国恋路村(今の山口県山口市)の2人の少年が、旱害に悩む村人のために宮野川上流の井手を切り、無断で川の水を村の水田まで引き入れました。この一件は上流の村との水論となって容易に解決を見なかったため、2少年は長州藩主・...