江戸時代前期の江戸浅草の商人で、芦ノ湖から箱根山を打ち抜き駿河国駿東郡深良村(今の静岡県駿東郡裾野町)まで延びる全長1,280mのトンネル「深良用水(箱根用水)」開削の元締となった。用水は寛文10年(1670)に通水したものの、その後幕府と対立し打首になったとも伝わる。駿東地方を灌漑した功績により芦ノ湖水神社の祭神として祀られる。
江戸時代前期の江戸浅草の商人で、芦ノ湖から箱根山を打ち抜き駿河国駿東郡深良村(今の静岡県駿東郡裾野町)まで延びる全長1,280mのトンネル「深良用水(箱根用水)」開削の元締となった。用水は寛文10年(1670)に通水したものの、その後幕府と対立し打首になったとも伝わる。駿東地方を灌漑した功績により芦ノ湖水神社の祭神として祀られる。