江戸時代前期の越後国曽根組割元庄屋。干魃に苦しむ曽根村(今の新潟県新潟市)のため用水路開削を長岡藩に願い出て天和元年(1681)に完工するものの、反対者が板で樋管をせき止める妨害工作をしたため通水せず打首となった。源助の首が水中から板をくわえて浮かび上がったという伝説がある。
江戸時代前期の越後国曽根組割元庄屋。干魃に苦しむ曽根村(今の新潟県新潟市)のため用水路開削を長岡藩に願い出て天和元年(1681)に完工するものの、反対者が板で樋管をせき止める妨害工作をしたため通水せず打首となった。源助の首が水中から板をくわえて浮かび上がったという伝説がある。