市原清兵衛 市原清兵衛(いちはら せいべえ) 江戸時代後期の丹波国多紀郡市原村(今の兵庫県丹波篠山市)の人。寛政12年(1800)、江戸で篠山藩主・青山忠裕(ただやす)に酒造の出稼ぎ解禁を直訴し認めさせた。近代に入ると丹波杜氏の功労者として顕彰された。
市原清兵衛(いちはら せいべえ) 江戸時代後期の丹波国多紀郡市原村(今の兵庫県丹波篠山市)の人。寛政12年(1800)、江戸で篠山藩主・青山忠裕(ただやす)に酒造の出稼ぎ解禁を直訴し認めさせた。近代に入ると丹波杜氏の功労者として顕彰された。
義民の史跡 義民清兵衛之碑(市原清兵衛の直訴事件) 寛政12年(1800)、丹波国多紀郡市原村(今の兵庫県丹波篠山市)の清兵衛は、篠山藩の出稼ぎ禁止令で杜氏らが困窮していると藩主・青山忠裕に直訴し入牢するものの、禁令は享和2年(1802)年に緩和されま... 2023.06.24 義民の史跡