広瀬屋清七郎(ひろせや せいしちろう)

江戸時代後期の飛騨国益田郡跡津村(今の岐阜県下呂市)の人で、高山町(今の高山市)の広瀬屋半平の養子となり高山陣屋の取次役を務める。「大原騒動」では飛騨郡代・大原亀五郎の不正を幕府老中らに直訴し、郡代を流罪に追い込んだものの、自身は死罪に処せられた。


2024年9月16日義民の史跡

殉義蘇民の碑

飛騨郡代・大原亀五郎は、「一条金」6千両余りを村々から借り入れたり、年貢の過納金を返還せず ...