群馬

義民の史跡

一行山光心寺(堀越三右衛門の越訴)

寛文7年(1667)、上野国緑埜郡緑埜村(今の群馬県藤岡市)名主の堀越三右衛門は、地頭・倉橋内匠の悪政を幕府に直訴して磔刑に処せられました。その後、三右衛門の遺志を継いだ多胡郡黒熊村(今の高崎市)名主...
義民の史跡

義民白田六右衛門顕彰碑(白田六右衛門の義民伝承)

元禄2年(1689)、上野国多胡郡多胡村(今の群馬県高崎市)の庄屋・白田六郎右衛門は、飢饉に際して年貢米を独断で百姓に分け与え死罪となったと伝えられます。龍源寺には六右衛門の墓と小祠が祀られ、昭和63...
義民の史跡

茂左衛門地蔵尊千日堂(杉木茂左衛門と磔茂左衛門一揆)

天和元年(1681)、上野国利根郡月夜野村(今の群馬県利根郡みなかみ町)名主・杉木茂左衛門は沼田藩の悪政を幕府に直訴し、真田家は改易となるものの、茂左衛門も磔刑に処せられました。この「磔茂左衛門一揆」...
義民の史跡

日向義民地蔵(小沼庄左衛門と延宝の直訴)

延宝4年(1676)、上野国山田郡台之郷村(今の群馬県太田市)名主・小沼庄左衛門ら18人は、「目こぼれ」と称して館林藩の役人が年貢を横領したことを幕府に直訴しました。その後、18人の身柄は館林藩に引き...
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