殉義蘇民の碑(広瀬屋清七郎と天明大原騒動)
飛騨郡代・大原亀五郎は、「一条金」6千両余りを村々から借り入れたり、年貢の過納金を返還せず ...
川合伊左衛門・川合久右衛門之碑(義民伊左久右の伝承)
天和元年(1681)、不漁・不作による困窮から三河国渥美郡中山村(今の愛知県田原市)庄屋の ...
和田の佐助顕彰碑(和田佐助の義民伝承)
万治3年(1660)、越中国砺波郡佐野村(今の富山県高岡市)で和田野の町建てを行い、その肝 ...
義人平野源蔵・竹本庄右衛門顕彰碑(平野源蔵と11か村入会山論)
江戸時代の寛文年間、三河国(今の愛知県)宝飯郡で入会山論が起き、広石村庄屋・平野源蔵と組頭 ...
芦ノ湖水神社(友野与右衛門の義民伝承)
駿河国駿東郡深良村(今の静岡県裾野市)周辺の村々では水不足が続いていたため、元締・友野与右 ...
義民供養の石地蔵(伊深義民事件)
天和2年(1682)、旗本・佐藤継成の知行所だった美濃国加茂郡伊深村(今の岐阜県美濃加茂市 ...
長恩院石塔(田辺小兵衛の義民伝承)
正保2年(1645)、越後国蒲原郡馬堀村(今の新潟県新潟市)庄屋・田辺小兵衛は、干魃に悩む ...
栂野彦八顕彰碑(栂野彦八の義民伝承)
文化3年(1806)、越中国婦負郡四方町(今の富山県富山市)の町年寄・栂野彦八は、漁民によ ...
生田万の墓碑(生田万の乱)
天保8年(1837)、大坂で起こった「大塩平八郎の乱」に触発され、天保の飢饉による惨状を憂 ...
永安寺(柴田助太夫と大浜茶屋村の愁訴)
延宝5年(1677)、三河国碧海郡大浜茶屋村(今の愛知県安城市)庄屋・柴田助太夫は、助郷役 ...
伝蔵地蔵(眼目屋与左衛門の義民伝承)
江戸時代、越中国新川郡東水橋村(今の富山県富山市)の米商人・眼目屋与左衛門が飢饉の際に給人 ...
北市騒動供養塔(北市村源右衛門と北市騒動)
宝暦7年(1757)、凶作による米価高騰を機に越中国城端町(今の富山県南砺市)の米屋が打ち ...