義民の史跡 伊曽島神社(福豊十六人衆と豊松新田・福井新田越訴) 木曽三川の河口に当たる豊松新田・福井新田(今の三重県桑名市)はたびたび洪水の被害に悩まされており、享保10年(1725)に儀左衛門らあわせて16人の「福豊十六人衆」が幕府老中に直訴した結果、享保13年(1728)に堤防・新田の再築が図られま... 2025.01.12 義民の史跡
義民の史跡 殉義蘇民の碑(広瀬屋清七郎と天明大原騒動) 飛騨郡代・大原亀五郎は、「一条金」6千両余りを村々から借り入れたり、年貢の過納金を返還せず献納を強制したりしたため、飛騨国益田郡跡津村(今の岐阜県下呂市)出身で高山陣屋の取次役だった広瀬屋清七郎らは、郡代の不正を老中・松平定信や幕府巡検使に... 2024.09.16 義民の史跡
義民の史跡 川合伊左衛門・川合久右衛門之碑(義民伊左久右の伝承) 天和元年(1681)、不漁・不作による困窮から三河国渥美郡中山村(今の愛知県田原市)庄屋の河合伊左衛門らが御領林の立木払下げを領主の旗本・清水権之助に直訴し、代官の讒言で斬罪となりました。地元では「義民伊左久右」と崇められ、後に石碑も建てら... 2023.05.26 義民の史跡
義民の史跡 和田の佐助顕彰碑(和田佐助の義民伝承) 万治3年(1660)、越中国砺波郡佐野村(今の富山県高岡市)で和田野の町建てを行い、その肝煎となっていた佐助は、困窮農民を救うために隠田開発をし、露見して磔刑に処せられたと伝えられています。後に和田村の地子が免除されたことから「佐助大明神」... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 義人平野源蔵・竹本庄右衛門顕彰碑(平野源蔵と11か村入会山論) 江戸時代の寛文年間、三河国(今の愛知県)宝飯郡で入会山論が起き、広石村庄屋・平野源蔵と組頭・竹本庄右衛門が地元9か村を代表して幕府の牛久保代官所に直訴しました。罪に問われた平野源蔵と竹本庄右衛門は寛文9年(1669)に打首となりますが、結果... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 芦ノ湖水神社(友野与右衛門の義民伝承) 駿河国駿東郡深良村(今の静岡県裾野市)周辺の村々では水不足が続いていたため、元締・友野与右衛門らの指導のもと、芦ノ湖を水源とした箱根用水開削の大工事が行われ、現在もその水は大地を潤しています。しかし、友野与右衛門らはその後幕府と対立して打首... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 義民供養の石地蔵(伊深義民事件) 天和2年(1682)、旗本・佐藤継成の知行所だった美濃国加茂郡伊深村(今の岐阜県美濃加茂市)では、不作で困窮した百姓らの代表が江戸に上りに年貢減免を幕府目付に越訴し、うち多数が牢死又は死罪となりました。現地には「伊深義民の碑」と称する供養碑... 2023.05.25 義民の史跡
義民の史跡 長恩院石塔(田辺小兵衛の義民伝承) 正保2年(1645)、越後国蒲原郡馬堀村(今の新潟県新潟市)庄屋・田辺小兵衛は、干魃に悩む村人のために「馬堀用水路」を開削したものの、幕府役人から独断で工事を行った責任を問われ自殺したといいます。宝暦2年(1752)、村では小兵衛の遺徳を偲... 2023.05.24 義民の史跡
義民の史跡 栂野彦八顕彰碑(栂野彦八の義民伝承) 文化3年(1806)、越中国婦負郡四方町(今の富山県富山市)の町年寄・栂野彦八は、漁民による行商を禁じた郡奉行を諫めるために切腹し、奉行は罷免されたといいます。彦八の没後、その石像が造られましたが、明治時代に石像を移して「都賀比古神社」が創... 2023.05.24 義民の史跡
義民の史跡 生田万の墓碑(生田万の乱) 天保8年(1837)、大坂で起こった「大塩平八郎の乱」に触発され、天保の飢饉による惨状を憂いた国学者・生田万が同志を募り、越後国柏崎町(今の新潟県柏崎市)にあった桑名藩の柏崎陣屋を襲撃しました。この「生田万の乱」は長岡藩の加勢により鎮圧され... 2023.05.24 義民の史跡
義民の史跡 永安寺(柴田助太夫と大浜茶屋村の愁訴) 延宝5年(1677)、三河国碧海郡大浜茶屋村(今の愛知県安城市)庄屋・柴田助太夫は、助郷役免除の訴願を繰り返し、この年死罪になったと伝えられます。しかし、この助太夫の訴願により、大浜茶屋村では以後幕末に至るまで助郷役が免除されることとました... 2023.05.23 義民の史跡
義民の史跡 伝蔵地蔵(眼目屋与左衛門の義民伝承) 江戸時代、越中国新川郡東水橋村(今の富山県富山市)の米商人・眼目屋与左衛門が飢饉の際に給人蔵を勝手に開放して米を分け与え、生埋めの刑に処せられたと伝わっています。後に人々は供養のために「伝蔵地蔵」を祀りました。 2023.05.23 義民の史跡