千葉

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義民の史跡

宗吾霊堂(木内惣五郎と佐倉宗吾一揆)

承応2年(1652)、下総国印旛郡公津村(今の千葉県佐倉市)の名主であった木内惣五郎は、佐倉藩の悪政を将軍に直訴し、処刑されたと伝わっています。その後、佐倉藩堀田家は改易されたことから惣五郎の祟りと噂され、『佐倉義民伝』として多くの文芸のモ...
義民の史跡

山神源治宮(椎名源治の義民伝承)

寛文2年(1662)、下総国香取郡牧野村(今の千葉県香取市)の椎名源治は地頭・黒川左馬の苛政を公儀に訴え、生埋めにして処刑されたといわれています。宝暦3年(1753)、椎名源治は石祠に祀られ、現在では社殿もつくられて「山神源治宮」となってい...
義民の史跡

七里ヶ渡し(布施村弥五郎の義民伝承)

元禄16年(1703)、下総国相馬郡布施村(今の千葉県柏市)百姓・弥五郎は、年貢減免を領主に直訴しようとして打首に処せられたといいます。弥五郎が処刑された場所は「弥五塚」と呼ばれ、命日に村で供養が行われていましたが、いつの間にか所在がわから...
義民の史跡

義人大多和四郎右衛門自刃之地碑(大多和四郎右衛門の切腹伝承)

寛永20年(1643)上総国山辺郡東金町(今の千葉県東金市)の名主・大多和四郎右衛門は、飢饉に際し佐倉藩の米蔵を無断で開き、百姓に米を分け与えると、その責を負って切腹したと伝えられています。戦後、四郎右衛門が切腹した石切橋の辺りには「義人大...
義民の史跡

義民市東刑部左衛門之墓(市東刑部左衛門の切腹伝承)

慶長10年(1605)、上総国山辺郡東金(今の千葉県東金市)にいた元武士で、土着して名主となっていた市東刑部左衛門は、年貢減免を認めない検田使を斬り捨て、米倉の蓄えを農民に分け与えた上で、その責を負って切腹して果てたと伝承されています。市東...
義民の史跡

杢右衛門の碑(最首杢右衛門の門訴)

寛延3年(1750)、上総国夷隅郡深堀村(今の千葉県いすみ市)組頭の最首杢右衛門は、御用金の用捨願いのため旗本・阿部正甫の江戸屋敷で門訴して捕らえられ、寺院の助命嘆願もむなしく屋敷内で斬首されました。地元には杢右衛門を供養するための墓碑など...
義民の史跡

三義民刑場跡(三義民と万石騒動)

正徳元年(1711)、安房国(今の千葉県)北条藩は川井藤左衛門を家老に登用して無理な年貢増徴を図り、領内百姓による藩邸門訴や幕府老中への駕籠訴を招きました。頭取3人は川井の独断により吟味もなく死罪となりましたが、後に幕府評定所の詮議で川井も...
義民の史跡

諸岡太左衛門の墓(諸岡太左衛門の門訴)

天明5年(1785)、上総国天羽郡金谷村(今の千葉県富津市)百姓・諸岡太左衛門が在地役人の横暴を旗本・白須政雍(まさちか)の江戸屋敷に門訴し、年貢増徴などの取止めが決まったものの、入牢の末に獄死しました。菩提寺の華蔵院には太左衛門の墓が営ま...
義民の史跡

岩野平左衛門の墓(岩野平左衛門の義民伝承)

延宝8年(1680)、上総国天羽郡百首村(今の千葉県富津市)名主の岩野平左衛門は、重税を賦課する旗本・秋元隼人正に諌言して処刑されたと伝わります。その後、祟りにより火災が頻発したことから、平左衛門は火防の神「岩平大権現」として祀られました。
義民の史跡

池田三郎左衛門之碑(池田三郎左衛門の強訴)

慶長16年(1611)、増税に苦しむ上総国望陀郡田川村(今の千葉県木更津市)の名主・池田三郎左衛門は、十数度にわたって幕府に再検地を求め、願いは認められたものの、強訴の罪をもって処刑されたと伝えられています。地元には池田三郎左衛門の木像を安...
義民の史跡

土神宮(山田藤右衛門の強訴)

延元元年(1673)、上総国望陀郡新田村(今の千葉県袖ケ浦市)の名主・山田藤右衛門は、領主である旗本・太田八十郎に年貢増徴の撤回を求め、願いは認められたものの、強訴の罪をもって遠島となりました。後に藤右衛門を祀る「土神宮」が創祀され、現在も...
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忍足佐内殉難の地碑(忍足佐内と西領騒動)

明和7年(1770)、安房国平郡金尾谷村(今の千葉県南房総市)名主の忍足佐内らは、年貢減免や腐敗役人の罷免を求めて勝山藩主・酒井忠隣の江戸屋敷に門訴し、打首となりました。その後、親族が幕府老中に駕籠訴して、ようやく奉行らの追放が実現したこと...